民主的選挙は不可能?
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民主的選挙は不可能?
- 投票方式の矛盾と全員当選! -
一票の格差が
違憲であるとの判決が続いている。
一方で、選挙無効の請求については
棄却が続いているので、先日の朝日新聞には
こんな川柳が載っていた。
違憲でもやったが勝ちという裁き
選挙制度の話になると、
定員や、小選挙区や
比例代表によるメリット、デメリットなど、
おきまりの型にはまった
狭い議論になりがちだが、
そもそも民主的に選ぶ、とは
どういうことなのだろう。
高橋昌一郎 (著)
理性の限界
講談社現代新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに)
は、
これ以上はないほどの
シンプルなモデルを使って、
さまざまな選択方式がもつ矛盾を
わかりやすく解説している。
本は「シンポジウムにおける議論」
という形を借りた読み物となっているが、
ここでは、
ロジック(論理)だけに集中するため、
一部、さらなる記号化を進めながら
内容を紹介したい。
下記記事の色のついた部分は、
本に紹介されている事例や内容を
その視点でまとめたものだ。
(本からのそのままの引用ではない)
最初に簡単な準備を。
選択肢の優先順位を「選好順序」と呼ぶ。
「XをYより好む」は「X>Y」
と表記する。これだけ。
以下、説明のため、
選好は「好き」「嫌い」という言葉で
表現することにする。
AがBより好き、または
BがAより嫌い、を「A>B」と表している。
a1. A>B>C
a2. B>C>A
a3. C>A>B
の選好順位を持つ三人がいたとする。
本では、
旅行に行きたい場所を
例として挙げていた。
さて、この三人が
実際にどこに旅行に行くかを
決めるときのことを考えてみよう。
「AとBのどちらを選ぶ?」
と投票すると2対1でAが選ばれる。
「では、AとCではどちらを選ぶ?」
と投票すると2対1でCが選ばれる。
A>BでC>Aなので、
この結果を順に並べると
C>A>B
となる。(*1)
ところが同じ集団に対して、
質問の順番を変えて
「AとCのどちらを選ぶ?」
と投票すると
2対1でCが選ばれる。
「では、CとBではどちらを選ぶ?」
と投票すると2対1でBが選ばれる。
C>AでB>Cなので、
この結果を順に並べると
B>C>A
となる。(*2)
(*2)のB>C>A と
(*1)のC>A>B とを見ると、
B>C>A>B
と不思議なことになる。
Bは、
ある質問(*2)では
「最も好きなもの」として選ばれるが、
ある質問(*1)では
「最も嫌いなもの」として
選ばれることになる。
このような集団では、
「2つの選択肢の勝者」と
「残りの選択肢」を
勝ち抜き投票で決めると
「残りの選択肢」が
必ず勝つことになる。
X>Y、Y>Zならば、X>Zという性質を
「選好の推移律」と言うが、
個人において成立している選好の推移律が、
集団においては成立していない。
この事例は、1785年フランスの数学者
コンドルセによって
初めて示されたので、
「コンドルセのパラドックス」
と呼ばれている。
勝ち抜き投票という選択方式には
このような問題があるが、
実は、複数の選択肢から
単数を選択して投票する
「単記投票方式」も、
必ずしも民主的な投票方式でないことが
わかっている。
コンドルセと同時代の
フランスの数学者ボルダによって
最初に指摘された。
以下のような7人の集団を考える。
b1. A>B>C
b2. A>B>C
b3. A>B>C
b4. B>C>A
b5. B>C>A
b6. C>B>A
b7. C>B>A
この集団が「最も好きなもの」を
単記投票すると
A3票、B2票、C2票となり
Aに決定される。
ところが同じ集団で、
「最も嫌いな(好きじゃない)もの」を
単記投票すると
A4票、B0票、C3票となり
Aに決定される。
「最も好きなもの」を選んでも、
「最も嫌いな(好きじゃない)もの」を
選んでもAが選ばれてしまう。
「3票で当選(選ばれるの)はおかしい?」
「選ばれるなら
最低でも過半数は取らなきゃ」
ということで、一回きりの
単純な多数決の欠点を回避するために、
単記投票第一位の得票数が
過半数に満たない場合は、
上位二者の決選投票を行うという
「上位二者決選投票方式」が考案された。
国際オリンピック委員会が
用いている方式だ。
ところが、この方式でも
必ずしも矛盾を回避できない。
c1. A>B>C
c2. A>B>C
c3. A>B>C
c4. B>C>A
c5. B>C>A
c6. B>C>A
c7. C>A>B
「最も好きなもの」を投票すると
A3票、B3票、C1票となり、
どれも過半数を取れない。
よって、上位二者による決選投票を行う。
すると、
A4票、B3票という結果となり
Aが過半数を占めることになる。
というわけで、決選投票過半数で
「最も好きなもの」としてAが選ばれる。
一方
「最も嫌いな(好きじゃない)もの」を
投票すると
A3票、B1票、C3票となり、
どれも過半数を取れない。
よって、上位二者による決選投票を行う。
すると、
A4票、C3票という結果となり
Aが過半数を占めることになる。
というわけで、決選投票過半数で
「最も嫌いな(好きじゃない)もの」として
Aが選ばれる。
またまた
「最も好きなもの」を選んでも、
「最も嫌いな(好きじゃない)もの」を
選んでもAが選ばれてしまう。
「勝ち抜き決選投票方式」にも
「単記投票方式」にも
「上位二者決選投票方式」にも矛盾がある。
それを回避するために生み出された
「複数記名方式」と「順位評点方式」という
方法にも問題がある。
有権者55名が、
AからEの5名の立候補者に対して、
1位から5位の選好順位を記入して
投票した結果、
次のようになったとしよう。
(d1) A>D>E>C>B 18名
(d2) B>E>D>C>A 12名
(d3) C>B>E>D>A 10名
(d4) D>C>E>B>A 9名
(d5) E>B>D>C>A 4名
(d6) E>C>D>B>A 2名
A候補
1位票を最も多く得たAが当選すべき。
(単記投票方式)
B候補
18名では過半数を満たしていないので、
上位二者(A18票、B12票)で
決選投票すべき。
決選投票すると(A18票、B37票)で
Bが当選。
(上位二者決選投票方式)
C候補
決選投票するなら、
1位票の最も少ない立候補者を除外して
再投票を繰り返す「勝ち抜き投票」を
行なってもらいたい。
2回目:Eを除外して、
A18票、B16票、C12票、D9票
3回目:Dを除外して、
A18票、B16票、C21票
4回目:Bを除外して、
A18票、C37票で
Cが当選。
(勝ち抜き決選投票方式)
D候補
有権者が並べた全体順位を重視。
1位5点、2位4点、3位3点、
4位2点、5位1点で集計。
A127点、B156点、C162点、
D191点、E189点
となり、Dが当選。
(順位評点方式)
E候補
全体順位よりも一対一で比較。
A対E は 18対37
B対E は 22対33
C対E は 19対36
D対E は 27対28
となり、全組合せで
Eの票が多いのでEが当選。
(総当り投票方式)
つまり、全員が当選を主張できる。
この「全員当選モデル」は
1991年テンプル大学の数学者
ジョン・パウロスが考案したもの。
ここで、
当選者のタイプをちょっとみてみよう。
単記投票方式で選ばれるA候補
18名から1位支持を受ける一方、
残りの37名からは最低評価。
上位二者決選投票で選ばれるB候補も
26名が1位か2位なのに、
残り29名は4位か5位の下位評価。
勝ち抜き決選投票方式で選ばれるC候補も
どちらかと言えば上位か下位に
分かれている。
味方もいるが敵も多い「両極端タイプ」
総当り投票方式で選ばれるE候補
1位評価は6名しかいないが、
4位以下の評価なし。37名が中間の3位。
順位評点方式で選ばれるD候補も
2,3,4位の中間層に集中。
これらの候補は
極端に高い評価も低い評価もない、
無難な「八方美人タイプ」
どのような投票方式で選ぶかと
定める時点で、すでに当選者のタイプも
暗黙のうちに決まっているのだ。
実社会では、
どのようなタイプの当選者を
求めるかによって、
どの投票方式が適しているかが、
経験的に定められている。
実社会の多くの選挙で
「単記投票方式」や
「上位二者決選投票方式」が
用いられているのは、
当選者に強いリーダーシップが
求められていることが理由だと考えられる。
さまざまな投票方式の問題点を
説明したあと、1951年に
コロンビア大学の数理経済学者
ケネス・アロウが証明した
「不可能性定理」
の話に繋がっていく。
「不可能性定理」とは何か。
なんと、
「完全に民主的な
社会的決定方式は存在しない」
が証明されているらしい。
アロウは、この業績をさらに数学的に
厳密に構成して
「一般均衡理論」の定式化を導き、
1972年に
ノーベル経済学賞を受賞している。
アロウが厳密に定義した意味での
完全民主主義を実現することは
論理的に不可能。
定義域が何十万人であっても、
何百万人であっても、
パウロスの全員当選モデルのように、
社会的選択関数を
一意に定められない事態が
起こりうることを証明できる、
のだとか。
さらに衝撃的事実が。
1973年ミシガン大学の哲学者
アラン・ギバードと
ウィスコンシン大学の政治学者
マーク・サタースウェイトによって
独立に発見された。
独裁者の存在を認めるような
投票方式でないかぎり、
戦略的操作が可能になる
というもので、
「ギバード・サタースウェイトの定理」
と呼ばれている。
いかなる民主的な投票方式においても、
必ず戦略的操作が可能。
もし戦略的操作ができないような
投票方式があるとすれば、
そこには必ず、すべての決定権が
一人の投票者に
委ねられるという意味での
独裁者が存在する。
要するに、
完全に公平な投票方式は存在しない。
数学的に完璧にする途はなくても、
戦略的操作を完全には排除できなくても、
実社会において、我々はより良い
なんらかの選挙制度をつくり出し、
選択して行かなければならない。
本には、
こんなジョークも出ていたけれど...
「独裁政治では、一人が決める。
貴族政治では、数名が決める。
民主政治では、誰も決められない!」
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