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2013年2月27日 (水)

伝説の女性ローマ法王

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伝説の女性ローマ法王

- 性別判定用「穴のあいた椅子」 -

2月もあと一日。

そう言えば、ローマ法王ベネディクト16世(85)が高齢であることを理由に
今月末をもって退位する意向を示していた。

2013年2月16日の朝日新聞天声人語によると、
「10億人を超えるカトリック信徒の頂は265代を数える。
 存命中に退くのは、教会分裂の中で辞職を強いられたグレゴリウス12世以来、598年ぶり。
 自発的な退位となると、13世紀末のケレスティヌス5世以来719年ぶりという」

このニュース、
「本来終身制のローマ法王が」というところを
「本来終身刑のローマ法王が」と
いい間違えてしまったテレビのアナウンサもいたりして、
かえって「終身制」が印象づけられた結果となったが、
ローマ法王については、2005年「文藝春秋」6月号に、
倉田保雄さんが「女性ローマ法王伝説」として興味深い記事を書いている。

「ラ・パペッス(La Papesse)」という「伝説の女法王」についての本に出逢ったところから話は始まっている。
その内容を要点のみまとめてみると...

ヨーロッパでは千年以上も語り伝えられている伝説の女法王で、
十八世紀までに百五十点のパペッスに関する本が書かれている。
女法王の名はジャンヌ。

ジャンヌは、アングロサクソン系の両親のもと、紀元822年、フランス北部マイアンス村生まれ。
男の子同様に育てられる。
神学教育を受けたのちパリに行きルー・セルバ神父の下で修行。
神父は男装のジャンヌが女性であることを見抜いていたが、黙って修行を続けさせた上で
ローマに送り込み法王庁で働くようにした。

法王庁では、ヨハネス・アングリカスと改名し男で通した。
精力的に職務を全うし庁内の人気者になる。

法王レオ4世が急逝。
13世紀に創設されたコンクラーベ以前のこと。
当時、後継法王は庁内の人気と市民の人気によって選ばれる習わしだった。

人気絶頂のヨハネスが法王に選ばれ、ジャン8世として即位。
順風満帆の治世がスタート。

2年目の法王行列の途中、法王は突然失神して大騒ぎになった。
側近がかけ寄ると、うめき声を発し、何と公衆の面前で出産してしまった。

法王の路上出産というスキャンダルはあっという間にローマ市内をかけ巡る。
市民はショックを受けると共に激怒した。

事件の結末となると伝説はまちまち。
処罰は法王庁当局による毒殺された、という説。
馬の尻尾にしばりつけられてローマ市内を引き廻されたのち
市街から四キロ出た地点で息が絶え、その場に埋められた、という説。など

生まれた赤子については生死不明。
生き延びて、のちに英雄になるという神話の主人公にはなっていない。

パペッス終焉の地にギリシャ神話のゼウスが
子供のヘラクレスに乳を飲ませている像が立っていて、
その台座には
「PPPPP」と
謎めいた文字が刻まれていた。

1250年に年代記作者ジャン・ド・メリーが
「パパ・パテル・パトゥラム・パルトゥ・パピッサ・プロディタス」
(出産によりパペッスとよばれた法王)と解読。

出産事件から四百年以上経ってからのことだが、
この時代にパペッス伝説が”増産”されていた。
とくに「デカメロン」の作者ボッカチオが伝説を作品で取り上げるにおよんで、
ヨーロッパ中に拡まったとラルースの大百科事典に出ている。
当時パペッスをテーマにした本は想像で画いたパペッス路上出産シーンの版画を掲載している。

フランス大革命中の1793年1月29日には
パリのフェイドウ劇場でパペッスをテーマにしたコメディが上演され、
1831年1月15日にはヴォードヴィル・ショーにもなっている。

法王の子供の父親は、当時のザクセン公国の大使ランベール。

パペッス事件後、
法王庁内に「穴のあいた椅子(シエーズ・ペルセ)」が置かれ、
法王の候補はそこに坐り、
枢機卿たちはそっと候補が男であることを確かめたそうだ。

 

この話、話としてはおもしろいのだが、
倉田氏自身、何度も「伝説の」を使っている通り、残念ながらどうも史実ではないようだ。
「女教皇ヨハンナ」あたりをキーワードに検索してみると、
さまざまな追加情報を得ることができる。

850年代の教皇位の記録は不完全なるも、そもそもこの話が、
彼女がいたとされる時代の400年後以降の資料にしか存在していないことが、
「あとから創作された物語」と解釈される大きな根拠になっているようだ。

ところで最後に登場している「穴のあいた椅子」。
こちらは架空のものではなく、そういったものがほんとうにバチカン美術館にあるらしい。

Wikipediaにはこんな記述もあった。

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の穴のある聖座は実際に存在し、
バチカン美術館に今日もある。

穴がある理由については諸説あるが、椅子とその穴は、
女教皇ヨハンナの伝説より古いもので、
さらにはカトリック教会成立よりも数世紀古いものであることから、
教皇の性別判定とは全く関係ないことは明らかである。

元はローマ時代のビデかローマ皇帝一家用の出産用の足のせ台であろうと
仮説がたてられている。

ローマ帝国あるいはローマ皇帝と関わりがあるものだとされていたため、
ラテン語の称号、最高神祇官(Pontifex Maximus)と同様に、
ローマ帝国の継承者としての立場を強調する意図をもって
教皇たちが儀式に用いたのである。

 

いくらローマ皇帝と関わりがあるとはいえ、「穴のあいた椅子」が
「ローマ帝国の継承者としての立場を強調する」手段のひとつになるのだろうか。

 

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