若い時に読んだ本を
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若い時に読んだ本を
若い時に読んで感動した本を、読み返す機会があった。
ところが、読んでみるとあの時の感動が蘇ってこない。
当時、どうしてあんなにいいと思ったのだろう、と不思議に思うくらい冷めている自分がいる。
単に歳をとったということなのだろうか。
ふと、橋下治さんが書いた本「橋本治という考え方」の一節を思い出した。
「こんなすごいことが書いてあったのか」と思い直すことがある。
逆に、若い時に「すごい」と思いながら読んで「感動の一冊」になったものが、
後になって読み返すと、「こんなもんのどこがよかったんだろう?」と思うこともある
(まァロクに本を読まなかった私としては、こちらの経験があまりないが)。
前者は、自分の分かるところだけを勝手に拾い読みしていたのである。
後者は、書かれた本の行間に「自分の思いの丈」を勝手に詰め込んで、
「自分の読みたい本」を創り上げていたのである。
それがいけないというのではない。
本というのは、そうなりがちなものだと言っているだけである。
「自分の思いが勝手に埋め込まれることで、自分にとっての作品となる」は
本に限らない。
「作品」と「鑑賞する側」の一種の化学反応。
印象に残る作品には、考えてみるといつもこれがある。
一般的な評価がどんなに高い作品でも、この反応がおこらないと、
「おもしろいのはおもしろかったけれど」と言うような表面的な感想だけで終わってしまう。
見るもののまさに「勝手な思い」を受け入れる余白と
どんな思いを受け入れても作品としての芯は揺るがない骨格、
「いい作品」は、この両方を備えているような気がする。
これからも「自分の思いの丈」を勝手に詰め込んで楽しんでいきたい。
どんな本にでもそれができるわけではないのだから。
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コメント
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「若い時に読んだ本を」を読んで。
歳とともに変わる「本」の価値、ありますね。高校時代に読んで面白かった本「物理の散歩道」古本屋で偶然見つけて、今読んでます。やはり面白いですが、それほど感動的でもありません。私の今のパズルの方がずっと面白いです。頭の体操になるという意味で。
小浜氏の本はじめ、歴史書最近読みだしています。(若いときは、文化系本は忌避していました。どうだって言えること、ただごたごた言ってなんになるの、それより、うむを言わせない自然科学、特に数学が一番だなどといきがっていました。今、歴史が面白いです。人生の最後になって、うわーこんな立派な人物がいたのかと知ることは、本に出合った喜びです。人もそうなんですが、人はこちらがモーションかけても、こちらが相手にするに値しないとなるとなにも応答してくれないといういらだちがあり、いまいちです。やはり、本だけですか、宇宙カプセルに持っていくべきものは。
投稿: ゴンタ | 2018年10月 2日 (火) 13時08分
ゴンタさん、
コメントをありがとうございます。
「物理の散歩道」、
私にとっても、ものすごく懐かしい名前です。
まだ雑誌に連載されていたころのことを知っています。
書いていたのは謎の集団「ロゲルギスト」。
今は調べるといろいろ出てくるようですが、
インターネットのイの字もなかった当時、
まさに謎の集団でした。
あれからウン十年、
今読んだらどんな感想を持つことでしょう。
年齢と共に変わる本の印象は
ほんとうにおもしろいものですね。
投稿: はま | 2018年10月 3日 (水) 22時25分