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2013年2月

2013年2月27日 (水)

伝説の女性ローマ法王

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伝説の女性ローマ法王

- 性別判定用「穴のあいた椅子」 -

2月もあと一日。

そう言えば、ローマ法王ベネディクト16世(85)が高齢であることを理由に
今月末をもって退位する意向を示していた。

2013年2月16日の朝日新聞天声人語によると、
「10億人を超えるカトリック信徒の頂は265代を数える。
 存命中に退くのは、教会分裂の中で辞職を強いられたグレゴリウス12世以来、598年ぶり。
 自発的な退位となると、13世紀末のケレスティヌス5世以来719年ぶりという」

このニュース、
「本来終身制のローマ法王が」というところを
「本来終身刑のローマ法王が」と
いい間違えてしまったテレビのアナウンサもいたりして、
かえって「終身制」が印象づけられた結果となったが、
ローマ法王については、2005年「文藝春秋」6月号に、
倉田保雄さんが「女性ローマ法王伝説」として興味深い記事を書いている。

「ラ・パペッス(La Papesse)」という「伝説の女法王」についての本に出逢ったところから話は始まっている。
その内容を要点のみまとめてみると...

ヨーロッパでは千年以上も語り伝えられている伝説の女法王で、
十八世紀までに百五十点のパペッスに関する本が書かれている。
女法王の名はジャンヌ。

ジャンヌは、アングロサクソン系の両親のもと、紀元822年、フランス北部マイアンス村生まれ。
男の子同様に育てられる。
神学教育を受けたのちパリに行きルー・セルバ神父の下で修行。
神父は男装のジャンヌが女性であることを見抜いていたが、黙って修行を続けさせた上で
ローマに送り込み法王庁で働くようにした。

法王庁では、ヨハネス・アングリカスと改名し男で通した。
精力的に職務を全うし庁内の人気者になる。

法王レオ4世が急逝。
13世紀に創設されたコンクラーベ以前のこと。
当時、後継法王は庁内の人気と市民の人気によって選ばれる習わしだった。

人気絶頂のヨハネスが法王に選ばれ、ジャン8世として即位。
順風満帆の治世がスタート。

2年目の法王行列の途中、法王は突然失神して大騒ぎになった。
側近がかけ寄ると、うめき声を発し、何と公衆の面前で出産してしまった。

法王の路上出産というスキャンダルはあっという間にローマ市内をかけ巡る。
市民はショックを受けると共に激怒した。

事件の結末となると伝説はまちまち。
処罰は法王庁当局による毒殺された、という説。
馬の尻尾にしばりつけられてローマ市内を引き廻されたのち
市街から四キロ出た地点で息が絶え、その場に埋められた、という説。など

生まれた赤子については生死不明。
生き延びて、のちに英雄になるという神話の主人公にはなっていない。

パペッス終焉の地にギリシャ神話のゼウスが
子供のヘラクレスに乳を飲ませている像が立っていて、
その台座には
「PPPPP」と
謎めいた文字が刻まれていた。

1250年に年代記作者ジャン・ド・メリーが
「パパ・パテル・パトゥラム・パルトゥ・パピッサ・プロディタス」
(出産によりパペッスとよばれた法王)と解読。

出産事件から四百年以上経ってからのことだが、
この時代にパペッス伝説が”増産”されていた。
とくに「デカメロン」の作者ボッカチオが伝説を作品で取り上げるにおよんで、
ヨーロッパ中に拡まったとラルースの大百科事典に出ている。
当時パペッスをテーマにした本は想像で画いたパペッス路上出産シーンの版画を掲載している。

フランス大革命中の1793年1月29日には
パリのフェイドウ劇場でパペッスをテーマにしたコメディが上演され、
1831年1月15日にはヴォードヴィル・ショーにもなっている。

法王の子供の父親は、当時のザクセン公国の大使ランベール。

パペッス事件後、
法王庁内に「穴のあいた椅子(シエーズ・ペルセ)」が置かれ、
法王の候補はそこに坐り、
枢機卿たちはそっと候補が男であることを確かめたそうだ。

 

この話、話としてはおもしろいのだが、
倉田氏自身、何度も「伝説の」を使っている通り、残念ながらどうも史実ではないようだ。
「女教皇ヨハンナ」あたりをキーワードに検索してみると、
さまざまな追加情報を得ることができる。

850年代の教皇位の記録は不完全なるも、そもそもこの話が、
彼女がいたとされる時代の400年後以降の資料にしか存在していないことが、
「あとから創作された物語」と解釈される大きな根拠になっているようだ。

ところで最後に登場している「穴のあいた椅子」。
こちらは架空のものではなく、そういったものがほんとうにバチカン美術館にあるらしい。

Wikipediaにはこんな記述もあった。

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の穴のある聖座は実際に存在し、
バチカン美術館に今日もある。

穴がある理由については諸説あるが、椅子とその穴は、
女教皇ヨハンナの伝説より古いもので、
さらにはカトリック教会成立よりも数世紀古いものであることから、
教皇の性別判定とは全く関係ないことは明らかである。

元はローマ時代のビデかローマ皇帝一家用の出産用の足のせ台であろうと
仮説がたてられている。

ローマ帝国あるいはローマ皇帝と関わりがあるものだとされていたため、
ラテン語の称号、最高神祇官(Pontifex Maximus)と同様に、
ローマ帝国の継承者としての立場を強調する意図をもって
教皇たちが儀式に用いたのである。

 

いくらローマ皇帝と関わりがあるとはいえ、「穴のあいた椅子」が
「ローマ帝国の継承者としての立場を強調する」手段のひとつになるのだろうか。

 

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2013年2月24日 (日)

仏様の寿命

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仏様の寿命

50歳という若さで亡くなった元上司の墓参りに
年に一度だけ行っている。

墓地は柵で囲まれており、入り口には門扉がある。
開門時間が決まっているためいつでもは入れない。

門の横には小さな番小屋があって、
訪ねて行くと、そこにはいつもお婆さんが座っていた。

「どこにお参り?」「お名前は?」と聞かれるので、
簡単に告げてから墓地に入ることになるのだが、
このお婆さん、異様と呼びたいくらい記憶力がいい。

名乗っているとは言え、いちいちメモを取っているようには見えないのだが、
(仮にメモを取っているにしても)年に一度しか訪問しない私の顔を見て、
「あれ、あなた、去年もちょうど今頃いらっしゃったわよね」
と声をかけられたときは、ほんとうにビックリしてしまった。
その前年、おそらく数秒しか顔を合わせていないのに、だ。

驚くと同時に次の年から、
「今年も覚えていてくれているかな」と妙な期待を持って、
訪問、挨拶をするようになってしまった。

そのうち、お墓へのお花以外に、お茶菓子を持って行くようになり、
お参りの帰り、ちょっと寄って話をするようになった。

とにかく話好きで、そこまで話しちゃったらマズイでしょ、
というようなプライベートな話題も登場したりして、
ヒヤヒヤしたりもしながら、話を聞いていた。

 

そんな中、ちょっと興味深い話を伺った。

「何々家の墓として、代々ちゃんと引き継がれているお墓はいいンですが、
 いろいろな事情でそうならないお墓は、
 お参りする人が、子の代で終わっちゃうンです。
 孫の代まで続かず、事実上無縁仏となっているお墓が結構多いンですよ」

「まぁ、顔も見たこともない人のお墓に
 お参りしようとは思わないのかもしれませんが」

「つまりね、墓石は永遠に残るのかもしれないけれど、
 仏様、つまり死んだ人には寿命があるンです。わかりますか」

亡くなった方の寿命か。

 

今年もお参りに行った。

お婆さんはいらっしゃらなくて、代わりにお爺さんが座っていた。
「いつもいらっしゃるお婆さんは?」
と聞くと
「あぁ、あれはうちの家内です」
とお爺さん。
「体調崩していま入院しているんです。1月から。脳梗塞で」

よく覚えていてくれて驚いた話をすると
「そうなンですよね。
 バカのひとつおぼえとは言わないのでしょうが、
 お参りに来た方だけは妙によく覚えていて」
とちょっとうれしそう。

「それが、一昨日、病院の先生が
 『おばあちゃん、おとしはいくつ?』と聞いたら
 『54』って言うんですよ。
 ほんとうは74。20年前のまま止まっちゃってるンですかね」

「54って聞いたときは、もうダメかと思ったけれど、
 昨日は『何々さんはお参りにきているかな』なんて
 ちゃんとお墓のことを心配しているンですよ。
 だったらまだ大丈夫かな、って」

心配しながらも、毎日毎日、奥様のひとつひとつの言動に一喜一憂している様子が、
ひしひしと伝わってくる。

心より快復をお祈りいたします。
来年はもう、思い出してもらえないのかもしれませんが、
それでもお参りには来ますので。

 

お婆さんから聞かせてもらった「亡くなった方の寿命」の話を思い出しながら
墓地を出ようとすると、ひとつの墓石に掲げられた小さな掲示が目に入った。

    お願い
 此の墓所に御縁のある方の
 消息及び連絡先をご存知の方は
 当寺までお知らせ下さい
          **寺 住職

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2013年2月20日 (水)

若い時に読んだ本を

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若い時に読んだ本を

若い時に読んで感動した本を、読み返す機会があった。
ところが、読んでみるとあの時の感動が蘇ってこない。
当時、どうしてあんなにいいと思ったのだろう、と不思議に思うくらい冷めている自分がいる。
単に歳をとったということなのだろうか。

ふと、橋下治さんが書いた本「橋本治という考え方」の一節を思い出した。

若い時に読んで「たいしたこと言ってないな」と思った本を後になって読み返して、
「こんなすごいことが書いてあったのか」と思い直すことがある。

逆に、若い時に「すごい」と思いながら読んで「感動の一冊」になったものが、
後になって読み返すと、「こんなもんのどこがよかったんだろう?」と思うこともある
(まァロクに本を読まなかった私としては、こちらの経験があまりないが)。

前者は、自分の分かるところだけを勝手に拾い読みしていたのである。

後者は、書かれた本の行間に「自分の思いの丈」を勝手に詰め込んで、
「自分の読みたい本」を創り上げていたのである。

それがいけないというのではない。
本というのは、そうなりがちなものだと言っているだけである。

 

「自分の思いが勝手に埋め込まれることで、自分にとっての作品となる」は
本に限らない。
「作品」と「鑑賞する側」の一種の化学反応。
印象に残る作品には、考えてみるといつもこれがある。

一般的な評価がどんなに高い作品でも、この反応がおこらないと、
「おもしろいのはおもしろかったけれど」と言うような表面的な感想だけで終わってしまう。

見るもののまさに「勝手な思い」を受け入れる余白と
どんな思いを受け入れても作品としての芯は揺るがない骨格、
「いい作品」は、この両方を備えているような気がする。

これからも「自分の思いの丈」を勝手に詰め込んで楽しんでいきたい。
どんな本にでもそれができるわけではないのだから。

 

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2013年2月17日 (日)

アフリカは大きい

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アフリカは大きい

アルジェリアの人質拘束事件のあと、
新聞ではアフリカ関連のニュースが多くとりあげられていた。

地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、
その後世界中に伝播していったとする「アフリカ単一起源説」まであるのに、
アフリカについては、ほんとうになにも知らないなぁ、と思いながら
記事を読んでいた。

イスラム過激派武装集団によるテロの可能性に関する注意喚起の通知が
出状された時も、対象国リスト

【対象国】
アルジェリア、マリ、ニジェール、モロッコ、リビア、モーリタニア、
チュニジア、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニア、セネガル

を見て、「ニジェール」、「ブルキナファソ」ってどこ? というレベル。

 

なのに、マスコミのとりあげ方は極端で、
2週間ほど経つと、すっかり紙面から消えてしまった。

そもそもアフリカはとてつもなく大きい。
なので、地図を見る機会が増えたと言っても、いつもその一部だ。
だから余計に位置のイメージがつかみにくい。

アフリカがどれくらい大きいか、を示すこんなおもしろい図もある。

Africa_in_perspective_map

(ソースはここ)

 

元の図では、「中国」と「米国」と「西ヨーロッパ」と
「インド」と「アルゼンチン」と「イギリス諸島」の
6つを足しあわせても面積としてはアフリカの方が大きい、
と言っているが、日本の面積は37万sq kmしかないので、
さらに日本を足してもまだ及ばない。つまり

面積で考えると、

「中国」 と 「米国」 と 「西ヨーロッパ」 と

「インド」 と 「アルゼンチン」 と 「イギリス諸島」 と 「日本」 の

7つ全部を足し合わせたものよりアフリカの方が大きい。

一番見る機会の多いメルカトル図法による世界地図は、
高緯度になるほど相対的に大きく表示されるので、
赤道を中心にもつアフリカ大陸は、
面積の印象という点で一番不利(相対的に小さく見えている)なことも
一因と思われるが、それにしても、ここまで大きいとは。

 

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2013年2月13日 (水)

学而 浅田次郎

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学而 浅田次郎


2月、入学試験のシーズンだ。

入学試験と聞くと、思い出す文章がある。
浅田次郎さんが「小説新潮」(2001年1月号)に寄せいていた、わずか数ページの短いもの。
 

「ホステスの衣装」と「辞書」と「母の愛」
この時期になるとつい読み返してしまう。

 

 学而
                     浅田次郎

 東京オリンピックの前年のことである。

 私はどうしても私立中学を受験すると言い張って、貧しい母を困らせた。

 生家は数年前に没落し、家族は離散していた。
しばらく遠縁の家に預けられていた兄と私を、母はようやく引き取って、
とにもかくにも六畳一間に三人の暮らしが始まったばかりであった。

母はナイト・クラブのホステスをしていた。

当時の私立中学は教育熱心な裕福な家庭の専有物であった、と続けている。

 私が私立中学にこだわったのは、親の不始末によって
私の人生まで変えられたのではたまらぬ、と考えたからである。

家産が破れたのちも、私は選良としての意識をかたくなに抱き続けていた。
繁栄に向けて日本中がせり上がってゆく槌音(つちおと)が、
昼夜分かたず私を苛(さいな)んでいた。

結局、お母さんはわがままを聞いてくれた。

 さながら科挙の試験のごとく、一族郎党と家庭教師が
花見のような弁当持ちで少年に付き添う試験場に、私はひとりで臨んだ。

家に帰って、そういった本物の選良たちには到底かなわない、という気持ちを漏らすと

母は化粧をする手を止めてやおら鏡から向き直り、強い口調で私を叱った。

「おとうさんやおかあさんが試験を受けたわけじゃないんだ。
 おまえが誰にも負けるはずはないだろう」と言ってくれた。

 合格発表の日、母は夜の仕度のまま私と学校に行ってくれた。

盛装の母は場ちがいな花のように美しかった。
私の受験番号を見上げたまま、母は百合の花のように佇(たたず)んで、
いつまでも泣いていた。

 

その日のうちに制服の採寸。そののち

別室で販売されていた学用品を、山のように買ってくれた。
小さな辞書には見向きもせず、広辞苑と、研究社の英和辞典と、
大修館の中漢和を買い揃えてくれた。

おかげでその後、浅田さんは吊り鞄のほかに、
三冊の大辞典を詰めたボストンバッグも持って通学することになる。

 学徒動員のさなか、学問をするかわりに飛行機を作っていた母は、
私に何ひとつ教えることができなかった。
三冊の辞書には言うに尽くせぬ思いがこめられていたのだろう。

 全二十編におよぶ「論語」は、その第一編「学而編」の冒頭にこう記す。

 子のたまわく、学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。

 私はおしきせの学問を好まなかったが、常に自らよろこんで学び続けてきた。
今も読み書くことに苦痛を覚えたためしはない。

その力の源泉はすべて、母があの日、
「えらい、えらい」と
泣きながら私に買い与えてくれた、三冊の辞書である。

そうした出自を持つ浅田さんは、
どうしても、コンピュータの前に座ることができない、と言う。
机上にはいまだに、朽ち破れた三冊の辞書が置いてある、と。
そして、こう結んでいる。

 紅葉の色づくころ、母が死んだ。
 

 癌を宣告されてからもけっして子供らの世話になろうとはせず、
都営団地にひとり暮らしを続けた末、消えてなくなるように死んでしまった。

七十三の享年に至るまで、たおやかな一輪の百合の花のように美しい母であった。

 遺された書棚には私のすべての著作に並んで、小さな国語辞典と、
ルーペが置かれていた。

 あの日から、三冊の辞書を足場にしてひとり歩きを始めた私のあとを、
母は小さな辞典とルーペを持って、そっとついてきてくれていた。

 そんなことは、少しも知らなかった。

 

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2013年2月10日 (日)

高松出張 ウラ報告

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高松出張 ウラ報告

「うどんが好きだ」と言いながら、一度も行ったことがなかった高松。

自分でうどんを打つこともありながら、本場で一度も食べたことがない、という
強いコンプレックスが、ごくごく一部とは言え解消できただけでも、
うれしい出張だった。

高松は、最近はあまり見ることがなくなったアーケードが長く縦横に走る街で、
あの人出密度(?)であれだけ広い商店街がよくやっていけるなぁ、が正直な感想。

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地方でよく見るさびれたシャッター街ではなく、ブランド店から、

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あやしい風俗店までが
明るく天井の高い現代的なアーケードの下に、ズラーッと並んでいた。
 

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アーケードだけでなく、町中の歩道も幅の広いところが多く、場所によっては、
歩道内が歩行者帯と自転車帯のように色分けされている部分もあり、

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それぞれが安全に歩ける/走れるような工夫もしてあった。
とにかく町全体がよく整備されていてきれいだなぁ、が第一印象。

出張は、2008年8月23日(土曜日)から一泊二日。古い話です。

では、うどんの話から。

 

「うどん」

うどんは基本的に平日の昼がメインのものらしく、
夜も食べられるところは少ない。
さらにさらに、日曜日は休みが多い。特に製麺所は全滅。
いろいろ事前情報は集めたものの、曜日と時間の制約がきびしく、
実際に食べに行けたのは限定された選択肢から、になってしまった。

食べたうどんをまとめておく。

(1) 一代     : かけ 300円

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(2) さか枝   : ぶっかけ 180円

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(3) 番丁     : かけ 300円

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(4) 黒田屋   : かけ 300円

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(5) 鶴丸     : ぶっかけ 600円

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うどんの写真がない理由は本文に。

 

 
(6) 味庄     : ぶっかけ 250円

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(7) かな泉   : ぶっかけ 270円

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(8) しんせい : きじょうゆ 220円

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全てで確認したわけではないが、
大きさについて言うと、小、中、大(小、大、ジャンボ)が、
玉数で1、2、3に対応しているようなので、
小は並より少ない、という意味ではない模様。
小を頼んでも量的には並。

逆に大を頼むと3玉分、とんでもない量になることがある。
仕事で訪問した会社の方から聞いた唯一の注意事項
「迂闊に大を頼むととんでもないことになりますよ」
の意味を痛感した。

かけのだしは、もちろんお店よって様々だが、
かつおが効いているものが多い。

ねぎ、削り節、おろししょうが、揚げ玉は、
トッピングとしてたいていのところで無料、かけ放題。

麺の好みで私的順位をつけると

  第一位グループ 鶴丸、さか枝
  第二位グループ 味庄、かな泉

結果として、ぶっかけのみが上位に来たのは
単なる偶然か好みか、よくわからない。
冷やすとコシの感じが強く印象に残るので、
そのせいかもしれない。

なお、すべての店が「ゆでたて」というわけではないので、
同じ店でも行くタイミングによって
結構印象は変わるような気がする。

うどんはゆでるときの麺の周りの独特な透明感が
うまさのサインのひとつだが、さすがにセルフの店でも、
ゼロからゆでさせてもらえるわけではないので、
そこまでは確認できず。
お腹に余裕があれば、かまあげというテもあったが。

実際に食べてみると、うどんのコシはもちろん重要だが、
噛んだ瞬間の感触以上に、
のどへの推進力みたいな快感があることを知る。
たしかにうまい!
もっといろいろ食べてみたい。

いかにも「うどん巡り」をしています、という感じのグループを
よくみかけた。
どの店も観光客に対する対応は丁寧で好印象。

いずれにせよ、かなり不完全燃焼。
まぁ、今回は予習と言うことにしておこう。

では、うどん以外のネタを。

 

「魚中心の居酒屋」
仕事が終了した土曜夜、
うどん以外の味で軽く呑みたくなり地元の居酒屋に。
魚中心。

見た目がかなり若く見える鉢巻をした大将の前のカウンタ。
となりは、スナックのママと常連のおじさんと言う感じの
中年カップル。年齢で言うと50代。

となりと話をする、という感じでは全くないので、
大将からいろいろ話を聞く。

引田で日本で最初の養殖に成功したことから
「はまち」は香川の県魚、小豆島は醤油どころ、
とのことなので、まずは「はまち」を刺身でいただく。

カウンタの醤油とは別に、
ちょっと濃いめのさしみ醤油が添えられていてうまい。

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暑かったので酒は香川の本醸造の冷酒「銭の街」

うどんで腹にあまり余裕がないことを告げると、
「焼き魚はどうでしょう」。

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今日は、瀬戸内海の魚「びんぐし」がお薦めですよ、
8月、9月ぐらいにしかとれないので、まさに季節の魚だし、
の説明に即注文。塩焼きで上手に焼いてくれる。
背びれが大きい。

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この背びれが鬢櫛を連想させるからかも、と思いながら最初の一口。
味はさっぱり、冷酒にぴったり。
あまりにもおいしいので、
昼からすでにうどん屋4軒を回ったことも忘れて
思わず「他には?」と聞いてしまう。

「ちぬ」もいいですよ、と生の状態で
カウンタ越しに掲げて見せてくれる。
小ぶりの黒鯛。うまそ。というわけでこれも注文。
絶妙な焼き具合。思ったよりも身が繊細。

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うどん屋にもう一軒行くつもりだったので、
ちょっと名残惜しいような気持ちのままおいとま。

さて、居酒屋のあと、
土曜最後のうどん屋「鶴丸」に。

 

「青年との出会い」
鶴丸で四国遍路の25歳の青年と逢う。
自転車での巡礼中。

徳島から入り、そこで自転車を購入。
一回りしたら自転車は手放して東京に帰る予定。
10月から働く予定なので、9月中には回りきりたい。
現在20箇所を回った。
まだまだ山のコースが残っているので、先はきびしい。

彼は、高校卒業後、整体師の学校に2年通った。
学校は五反田にあったらしい。
その後、整体師として働く。「ボキボキ」と鳴らすタイプ。
整体師には、公的な免許はなく、まさに実力のみの世界。
一度やって気に入られたら確実に指名が取れると同時に、
ダメだと二度と来てくれない。

数年やったら思ったよりはうまくいき、ちょっと鼻が高くなっていた。
で、一旦やめた。
ためたお金を使う時期を作ろう、がやめた理由。
5月から9月までをそれに当てることにした。
10月からは再就職が決まっている。

まずはオーストラリアで2ヶ月間ホームステイ。
その後、自転車による四国遍路を開始。

仕事のこと、海外生活のこと、うどんのこと、
とりとめもなくいろいろなネタに話がはずむ。
話にすっかり夢中になり、うどんの写真を撮り忘れていることなど、
ちっとも気がつかなかった。

彼は、ときどき携帯を素早く操作し何か入力している。
「人と話をしていて、おもしろい、と思える言葉に出会ったら
 メモするようにしているンです」

「メモは携帯に」もめずらしい光景ではなくなった。

「"人の知恵だけを集めて、自分に詰め込めれば"って
 思うンですけど、そんなこと思ってみても簡単にはいきませんね。
 で、せめて言葉だけでも、って」

 

話は尽きなかったが、夜遅いのに店はかなり混雑している。
うどんでの長居は限界があるので、引き上げることにした。

「では、遍路へのエールに代えてここの分、おごるよ」
と言うと、彼、気持ちよく
「ありがとうございます」

払って外に出ると、
「実は、自転車を使った、こんないいかげんな遍路でも、
 遍路やっている、と言うと、
 おごってもらえることが多いンです。で
 ちょっとですが、お礼を用意してまして」

「ラッキーナンバーってありますか?」
「いゃ、別にないなぁ」
「じゃぁ、誕生日を」
「11月9日だけど」
「では、11番の札所と9番の札所のお札(おふだ)を」
たくさん持っているお札の束から2枚を選んだ。

「これ、どうぞ」

薄い2枚のお札。
初めて見てちょっと驚く、私。

「病気の時にこれを直接食べるとよく効くそうですよ。
 でも、さすがに紙なのでちょっと食べられない、ということであれば、
 このお札の上に薬を置いて、それから飲むといいそうです」

「おもしろいねぇ。どうもありがとう」

お札と一緒にとりだした和装の納経帳も見せてくれる。
「こんな感じで埋めていっているわけで。
 まぁ、つまりはスタンプラリーですね」

自転車の鍵をとり出し、目の前の自転車に挿す彼。
「えっ!これ?」
「そうなんです。マウンテンバイクとかにガンガン抜かれちゃって」
彼の自転車は、深い緑色の典型的なママチャリだった。
「おもしろい話とうどん、ごちそうさまでした」
明るくこぎだした彼。

名前も連絡先も聞かぬまま別れた。
私の手には、11番藤井寺、9番法輪寺のお札が二枚。
妙に後味のいい別れだった。

結局、土曜日は仕事の他に、うどん屋5軒+居酒屋1軒。
お札の写真だけ撮って爆睡。

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「レンタサイクル」
翌日の日曜は、レンタサイクルを借りた。
高松市のレンタサイクルはいい。24時間で100円。
しかも市内にある6箇所のポートのどこに返してもOK。

 

「蛸釣り」
日曜の朝、海を見たくて埠頭に。
釣りをしている人がちらほら。

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防波堤の上においてあるラジオからはオリンピックのマラソン中継。
釣り人と話をする。

昨夜食べた「ちぬ」を釣っている人と
「大(真)蛸」を釣っている人がいる。
近くに見える釣り船はたいてい蛸らしい。

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蛸をさおで釣る? 壺じゃぁなくって?
私の疑問に、わざわざ針を引き上げて説明してくれた。
大きな針。手作りらしい。

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おとり用の赤い飾り。その下に「豚の筋」が硬く巻きつけられている。
その下に大きな針が2本、小さな針が2本、
大きくU字に曲げられて取り付けられている。

蛸が飾りにひきつけられて来ると、そこで豚の油を感じる。
それを食べようと全体を包み込むような体勢となる。
そのとき、針を引き上げると、大きな針が蛸の足に刺さり
逃げられなくなる、という仕組みらしい。
つまり、魚のように針を飲み込むわけではない。

「このリールだと約1kgの蛸まで引き上げられるんだよ」
よく日焼けした手がごっついうえにカッコイイ。

 

その後、高松城跡等、近くを観光しながら、うどん屋めぐり。
天気がよくて日差しが強い、暑い。
腕だけ日焼けして真っ赤に。

飛行機の出発までに、こんなドックに寄り道したりしながら、

P8240115s P8240112s

さらにうどん屋3軒。

最初に書いた通り土日、かつ土曜日は仕事、という悪条件の中、
合計8軒のうどんを楽しむことができた。

 

<おまけ>

「菊池寛通り」
米国では、人の名前をそのままつけた通りによく出くわす。

Martin Luther King,Jr通りなんていう長い名前の通りを
ポートランドで見かけた記憶があるし、
Frank Sinatra通りは確かパームスプリングスにあった。
住宅街の中の数十メートルの道にまで、
すべて名前がついているという事情の違いはあるにせよ、
有名人の名前の通りはめずらしくない。

ところが日本では、なぜか、かなりな有名人・名士でも、
通りや土地の名前にはあまりならないなぁ、とよく思っていた。
秀吉通りや信長通りとかって聞いたことないし。

ところが、高松にはあった、あった。大きな通りが。
その名も菊池寛通り。おもわず写真をパチリ。 

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帰ってきてからこの話を友人にすると、
「いや、けっこうあるでしょう、と思ったけど、なるほど浮かばない。
 えーと、乃木坂、権之助坂、道玄坂・・。あれ、坂ばかり。なぜだろう」
とのコメント。

 

「香川県庁」
織田裕二にも柴咲コウにもストーリにもぜんぜん興味はなかったのに、
友人が県の職員だからという理由だけで観た映画「県庁の星」。
映画に登場するあの庁舎は、香川県庁だった。
あんなきれいな高層ビルがまさか実在する県庁の建物だったとは。

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2013年2月 6日 (水)

金沢出張 ウラ報告

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金沢出張 ウラ報告

金沢に出張が決まった。
ちょっと調べてみると、観るものも食べるものも、
それはそれはネタがいっぱいある大観光地「金沢」。
これですっかり油断してしまった。
ある種の緊張感みたいなものが緩んでしまった感じで、
事前調査も現場でのハナも、どちらも「冴え」がイマイチ。

ヘトヘトになるまで動き回ったので、数にしては多くを楽しむことができたが、
今回は「爽快感」のない一泊二日となってしまった。
候補が多いことと、限られた時間の中で
どこまで深く楽しめるか、はあまり相関がないようだ。

まっ、こういうこともあるということで...

 

2010年12月4日(土曜日) (古い話です)

前日まで大荒れの天候であったが、低気圧は出発前に見事に通過。
当日は、朝焼けの中、羽田空港から見える富士山が美しい。
思ったよりはずっと大きく見える。
幸先のいいスタートじゃないか、と飛行機に乗る前から妙に気分だけ明るくなる。

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早めに金沢に到着したので、仕事が始まる正午までは「近江町市場」に。
季節柄カニを中心に、おおいに賑わっている。

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カレイやハタハタなどのほか、
「あんこう」がそのまま一尾、「みずだこ」がそのまま一ぱい、
氷の上に並べてあったりする。
とにかくどれもこれも色がキラキラしていて活きがいいのはよくわかる。

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「お昼はうまい海鮮丼にでもしよう」とワクワクしながら、うろうろする。
が、いざ食べようとすると、
座って食べられるようなお店は11時から、というところが多い。

訪問先には正午にはいかないといけないので、
訪問先までの距離感もあやしい状況では、
11時から食べたのではちょっと危険、
というわけで、あまり考えずに開いているお店に入ることにした。

 

注文のほうも平凡に「海鮮丼、あら汁つき」。

昔、中島みゆきがオールナイトニッポンというラジオ番組をやっていたころ、
「私は、良くないと思った曲は自分の番組ではかけない、
 それだけで十分だと思っている」
と短くコメントをしていたことがある。

人が作った曲が「良くない」と思ったとき、
どう良くないかを公共の電波に乗せていろいろ言っても
喜ぶ人はいないし、作品がよくなるわけでもない。

でも、と言うかだからこそ、
「いろいろ言わない。ただ自分の番組ではかけないだけ」
この短いコメントが、どんな批判よりも恐ろしく聞こえたことをよく覚えている。

で、突然なんでこんなことを書いているのか。
「良くないと思った店のことは、ウラ報告には書かない、
 それだけで十分だと思っている」
という声がどこからか聞こえてくるからだ。

そう、詳しくは書かないが、入ったお店は最低だった。
味がいいのはあら汁くらい。ネタが悪いだけでなく接客も悪い。
一言で言うと「観光客をバカにしている」
書かない、と言いながらもう三行も書いてしまった。失礼しました。
結果として後味の悪いスタートとなってしまった。

 

そこから訪問先までは、
街の雰囲気と距離感をつかみたかったので歩いていくことにした。

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途中、ギヤマンがはめ込まれている和・漢・洋が混ざり合ったような
めずらしい神門がある尾山神社にちょっと寄り、
香林坊の繁華街を抜ける形で歩いて行った。

香林坊には、ブランド店が並ぶ一角がある。
VUITTONやARMANIがおしゃれに並んでいる中、
見るとTIFFANYの汚れた店舗が。
いゃ、正確には元TIFFANY。

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近所のコンビニが潰れたときにちょっと驚いたことがある。
閉店した翌日には、(お店の中はまだ散らかっているものの)
そのお店が元(もと)何であったかがわかるものが、
完全に撤去されていたのだ。

外の看板はもちろん、ガラスに張ってあったカラーフィルムや、
店内のポスターなどなど、びっくりするくらいきれいになくなっていた。

今、この閉店になったお店を初めて覗いた人は、この店が前日まで、
セブンイレブンだったかファミリーマートだったかわからない、というレベル。

たしかに、元**だったということがわかる状態で、
電気がついていない散らかった店が長い間放置されていれば、
かなりなイメージダウンに繋がるし。
イメージを守るってこういうことか、とちょっと記憶に残る出来事だった。

TIFFANYももちろん看板は外している。
しかし、石にここまで彫り込んじゃってあると上のものだけ外しても見え見え。
日本で三番目に開店した路面店らしいが10月末に閉店したとのこと。
TIFFANYのイメージそのままの外装なので、
そこから変えることになるのだろうか。

 

その後、こんな佇まいのフランス料理店の前を通過し

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丁寧に吊るされた干し柿の風情にちょっと足を止められながらも仕事に。

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土曜夕刻。無事仕事終了。金沢駅前のビジネスホテルにチェックイン。

 

さて、夜。
飲食店の多い香林坊あたりまで出るか、駅近辺で楽しむか。
香林坊あたりはなぜかまた別な機会に行くことがあるような気がしたので、
あえて店の少ない駅近辺で探すことにした。

少ないと言ったって、天下の金沢。どうにかなるだろうと。
ところがところが、歩き出してみると駅前はよく見る大型チェーン居酒屋ばかり。
特に制約があるわけではないのだから、さっさと香林坊方面に行けばいいものを、
ヘンな意地をはってしまい、駅近辺から離れられず。
で、最初の居酒屋。「たのむ!」という思いで暖簾をくぐる。

 

「居酒屋 なごみ」
カウンタに案内されたが、
一言二言交わしただけで、ご主人の人柄が伝わってきてほっとする。
今度は大丈夫そうだ。安心して注文の相談から。
まずは、刺身の盛り合せを日本酒は地元の日榮雪酒で。

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中に鱈(たら)の刺身。
鱈って味のない魚、というイメージが先行してしまっていたが、
食べてみると日本酒によく合ってうまい。
そもそも刺身で食べるのは初めてかも。
丁寧に炒った真子を和えてあり、ちょっと上品な感じ。
梅貝も、甘くてコリッコリ。

 

ホタルイカの沖漬けで酒が進む。
治部煮(じぶに)も、鴨肉に小麦粉をまぶすところから一人分づつ作ってくれる。
かなりこってりタイプ。わさびを混ぜながら、と念を押されたが、
混ぜようとして見える中の「すだれ麩」の繊細な細工が美しい。

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金時草(きんじそう)のおひたしも初めて。
やわらかいというよりもシャキシャキッとした歯ごたえでうまい。
噛むとちょっとぬめりがある。昼間、市場で見たときは、葉の裏が紫色で、
これが金時草か、とちょっと印象に残る色だったが、おひたしにするとよくわからない。

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となりは、高齢の女性。
ひとつ空けて常連と思われる男性。ほかには観光客の若いカップル。

となりのおばあちゃん、
ひとりでカウンタの椅子に座れないくらい足元があやしいのだが、
よく来ているのか、お店の若い人が慣れたしぐさで上手に手を貸している。
ご主人が、私に対して料理の説明をしてくれるたびに、
「これはね、金沢ではどこの家でも食べるの」
などとちょっと補足をしてくれるのだが、
あやしいのは足元だけではなく、かなり聞き取りにくい。

首からは、大きな[1][2][3]のボタンだけがある携帯電話をぶら下げており、
おいしい肴がいっぱいあるのに一切肴は注文せず、
ビールだけをちびちびと楽しんでいる。

途中、大きな音で電話が鳴った。
「嫁からだわ」
と電話の方は慣れた操作。電話で呼ばれたのか、席を立った。
帰る際、座るときに助けてあげていたお店の若い人が、
「ちょっと送ってきます」
とごくごく自然におばあちゃんに付き添って出て行った。
これならビールだけでも寄りたくなるわけだ。

 

ご主人は、話をしていても実にすがすがしい。
「今朝、金沢に着いた、とのことでしたが、
 お昼はなにを召し上がったンですか?」
と聞かれたので「残念だった」の話をした。

すると、カウンタの中にいて黙々と仕事をしていたもう一人の若い板さんが、
突然振り返って
「それはまずいよ!」
と急に怒り出した。それまで温和に話をしていたご主人までも
「ひどいなぁ」
と若い板さんに同調するように語気が強まっている。

一緒に怒ってくれたうえに、お昼の店とおそらくなんの関係もないであろうに
「遠くから来てくれた人に不愉快な思いをさせてほんとうに申し訳ない」と
丁寧に私に対して謝ってくれた。

予想外の事態に、私の方は驚くやら恐縮してしまうやら。
でも、妙にうれしかった。
結局、どんな不愉快なことがあっても、
「そりゃ、ヤな思いしたねぇ」
と気持ちを分かってくれる人が一人でもいれば、それだけで救われるものだ。

 

その後もお薦めにのって、香箱(こうばこ)蟹を。 

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このお店では、カニの風味そのものを味わってもらうために、
リクエストされない限り、酢醤油などのタレは出さないのだとか。
食べてみるとほんとになにもつける必要なし、の意味がよくわかる。

すっかり、気分がよくなり、
二軒目は、カウンタにいた地元の方お薦めの寿司屋に。

 

この寿司屋、
店の周りは繁華街ではなくちょっとさみしい感じだが、
入ってみるとかなり賑わっている。地元の人が多い。
清潔感あふれる気持ちのいいカウンタ。
寿司はたしかに美味しかった。

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がすエビは甘エビよりずっと味が深い感じがしたし、
イカに「塩とすだち」という組合せもイカの甘みがよく伝わってきていい。

寿司ではないが、地元の「ごり」という川魚の佃煮も、いやみのない甘さが、
握りと握りの間の気分を変えてくれて悪くない。

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しかし、しかし。
最初に、地元のネタについての話を聞いているころから
なんとなくイヤな予感がしていたのだが、まさに的中してしまった。

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話を聞かせてもらったあと、
「じゃぁ、それとそれ、いただいてみようかな」
と注文を決めると、二人の職人が分担して同時に握って、
食べ終わってもいないのに何貫もほとんど同時に、次々と前に並べていく。 
まだ一つ目を食べはじめたばかりなのに、乾いちゃうじゃないか。

最初は、なにかの間違いか偶然だろう、と解釈しようとしていたが、
重なる態度に明らかに強い意図を感じる。
なにか嫌われるようなことでもしたかな、と
思わず振り返ってしまう自分が情けない。

味はいいンだから、ゆっくり味わう時間をくれぇ。

結局、
「食べるだけ食べて、さっさと帰ってくれ」
と言わんばかりのせかし方に屈して、早々に退散。

 

やっと気分よくなっていたのに、今日はほんとにツイてない。
「なごみ」に戻って、またあのご主人と若い板さんに癒されたい気分。

 

飲み食いはもうやめて、夜の街の写真でも撮るか、とうろうろしていると、
暗い中から突然大きな「パン!パン!」という音が。

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驚いてキョロキョロすると、近くの小さな神社にお参りしている女性の姿が。
まさか柏手(かしわで)の音とは思わなかった。
髪はストレートで長いが、
スカートは、そのままカメラを持って近づいたら捕まってしまいそうなくらい短い。

頭を深く下げ、丁寧にお参りしたあと、
足元においてあった大きな生花の花束を抱き上げて、足早に去っていった。
20代半ばという感じ。夜、若い女性が暗い中で神社にお参りしたからといって、
別に特別なことではないのかもしれないけれど、いろいろと想像が膨らむ。
中年オヤジのただの妄想とも言うが。

 

翌日の日曜は、飛行機の時間まで観光をメインに市内を回った。
まずは、茶屋街から。

 

『茶屋街』

 
ひがし茶屋街

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主計町茶屋街(「かずえまち」と読むそうな。屋敷のあった元藩士の名前からとか)

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にし茶屋街

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と、どこも風情があっていいが、やはり寄るなら夕暮れ時かも。

 

ひがし茶屋街にある案内板を見て、奥に連なる寺院群があることを知る。
その密集度にひかれて少し回ってみることにした。

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歩いてみると実にいい。
辻を曲がるたびに土塀の景色がかわり、次は次はとどんどん奥へ導かれてしまう。

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ちなみに知らないと読めない主計町「かずえまち」。
金沢は、1963年に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され、
主計町も一旦は尾張町に。
そのころ、多くの町名が消滅したらしい。悲しい話だ。

その後、味わいのある旧町名の復活を望む声が高まり、
1999年、全国初の旧町名復活ということで、主計町が戻ってきたとのこと。

 

『木造住宅』

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市内を回っていると、三階建て以上の木造住宅が数多く残っていることに驚く。
どれもまさに老舗という感じで、現役なのがいい。

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藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築した「金沢市老舗記念館」

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のように、大きくて迫力のある木造建築も、市内には観光用に数多く残してあるが、
多少小さくても傷んでいても「現役」の建物が持つ空気は、ほんとうに魅力的だ。

 

『黒瓦』

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多くの建物で使われている黒瓦。最初は気付かず濡れているのかと思った。
いわゆる釉薬瓦で艶があり光っている。屋根にアーチ状の雪止めがあるのも特徴。
関東でよく見るいぶし銀とはまったく違う。寒さに強い瓦なのだろう。

 

二日目の食べ物ネタも少し。
『金沢料理 四季のテーブル』

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青木悦子の、と個人名がつく「かぶら鮨」をいただく。
なれ寿司のひとつ。
塩漬けにしたカブに塩漬けにしたブリの薄切りを挟み込み、
米麹に漬け込んで醗酵させたもの。
麹にコクがあっていい。酒に合いそう。

 

『和カフェ つぼみ』

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小さなお店ながら城の石垣の一部を借景のごとく使う窓の使い方で、粋な店内。
「本葛もち」をいただく。
氷水に浮いた、まさに雑味のない葛もちは、ほんとうに美味しかったが、
葛もち以上に印象的だったのは「きなこ」。
細かく挽いてあり、味はもちろん、とにかく香りがいい。
思わず感想を伝えると、
「今、ウラで挽いたばかりですから」

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一緒に出てくる加賀棒茶との相性もバッチリ。
加賀棒茶は、玉露を作る際の新芽の茎を使ったほうじ茶とか。
「金沢ではほんとによく飲まれるこんなお茶なんですよ」
とわざわざ茶葉というか茶茎を見せて下さった。

味は本物だし、お店の方の対応もいいので、観光時の午後のお茶にお薦め。
二人以上で訪問して、「本葛もち」と「本蕨もち」との両方が食べられればベスト。

 

『もりもり寿し近江町店』
回転寿司もひとつはトライしてみようと、
前日のイヤは記憶を打ち消すようにおそるおそるまた近江町市場に。

一般的な回転寿司だが、回っている皿を取る人は少なく、
皆元気にその都度声をかけて握ってもらっている。

しかも、日本海三点盛りとか、白身三点盛りとか、
これまたいかにも観光客が注文しやすいよう、
最初からセットのメニューを用意している。
のど黒、生白子、ズワイガニなど、金沢ならではのものをいくつかいただく。

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ネタも豊富で、回転寿司としてはおいしく食べられたが、
今回の出張では二回も寿司屋でィヤな思いをしたせいか、
どうも平静な気持ちで味わえない。
金沢の寿司は、やはり日を変えてちゃんと仕切り直したい。

 

『甘納豆 かわむら』
にし茶屋街の一番奥。
大納言小豆はもちろん金時豆、大豆、ひよこ豆、などなど、
さらには丸まるの栗まで、15種類以上の甘納豆が並ぶ。甘さは控えめ。
それぞれの豆の質感を残しながら、
豆自体のおいしさがふっくらと感じられるところが絶妙。
小分けされた袋は250円から500円ぐらいと、おみやげに買いやすい。

 

街歩きの話題に戻って
『武家屋敷跡界隈』

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ちょうど冬用の土塀の「菰(こも)掛け」が終わったばかりだった。
金沢の冬の準備というと、兼六園の雪吊りが最初に浮かぶが、
土塀を守るための菰掛けもかなりの手間であろう。

地元のボランティアと思われる方が、
揃いのウインドブレーカを着てあちこちで武家屋敷の説明をしており、
回りに観光客が集まっている。
定年退職後の歴史好きのおじさん、といった感じの方が多い。

土塀に着いた雪が解けて土塀に染み込み、
その染み込んだ水分が内部で再び凍ってひび割れの原因となる、
それを予防するために菰を掛ける、ということらしい。

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丁寧な仕事は見た目もほんとうに美しい。
しかし、一方で、どうして漆喰や板張りのような
手間のかからない塀にしなかったのだろう、などと
つい効率だけを指標にした見方での疑問も湧いてしまう。
改めたいクセだ。

 

『城下町の道』
金沢の街歩きで、ちょっと楽しみにしていたことがある。
金沢という街、実は二回目なのだ。
前回はウン十年前、高校三年生の夏休み。
一人旅をした際、立寄った。

あのときは、ネットもないし、お金もないしで、
詳しい観光情報にも、おいしい物にも全く縁のない旅であったが、
そんな中、強く印象に残ったことがある。
それを再度経験できるか、トライしてみたい、と思っていたのだ。
それは何か。 lostつまり「道に迷う」ということ。

目的地を定め、地図を見ながらだいたいのルートを思い描く。
歩き出す。
曲がるつもりにしていた交差点のそばまで来たら、そこで曲がらずに、
一本または二本手前で曲がってしまう。
曲がってからは地図を一切見ずに、
方向感覚のみで、本来の目的地を目指す。

地図を見るのは好きな方だし、
方向感覚もそれほど悪い方だとは思っていないのだが、
高校生のときと同様、今回も、こんな簡単なことで「迷う」ことができた。

歩けば歩くほど自分がどこにいるのかわからなくなってしまう不思議さ。
やるなら初めての道、かつ、地図が頭に入ってしまう前にやらないと、ではあるが、
だまされたようで楽しく、はまってしまう。

なぜ、こんなことになったのか。自分はどこを歩いていたつもりだったのか。
あとから振り返って地図を見るとおもしろい。
直角に道が交わっていなかったこと、
平行だと思っていた道が実は角度をなしていたこと、
カーブの緩急が組合わさって方向感覚が狂ってくること、などなど
迷わせる要素がいろいろあることが発見できる。

地図だけを冷静に眺めるとそれほど複雑には見えないが、
地図なしで実際に飛び込んでみると、この街、迷える率はやはり高い気がする。

ところで、
「私、方向音痴なの」
と女性が口にするとき、なぜか嬉しそうというか、
自慢げに言うことが多いのはなぜなのだろう、
というのは私の長年の疑問のひとつなのだが、
まぁ、これは今回の件とは関係ない。
失礼。

 

『石垣』

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本丸南面の高石垣。
野面(のずら)積み、打ち込みハギ、切り込みハギと
さまざまな種類の石垣を見ることができる金沢城。
手法はいろいろあれど、
やはり「高い、大きい」ことはもうそれだけで迫力があっていい。

 

『金沢21世紀美術館』

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フリツカー賞を受賞して話題になった、
妹島(せじま)和世+西沢立衛(りゅうえ)/SANAAの設計。

完全な円形の建物。入り口は4つあるが、どれが正面、というわけではない。
よってウラという感覚もない。

作家ブレンダン・ギルが、
80歳を過ぎても精力的に仕事をこなす建築家フランク・ロイド・ライトのことを

「建築家は建ててこそ建築家といえる。
 それが音楽とはまったく違う点だろう。

 演奏されなかった曲でも100年後、注目されたりする。
 だが、建築に使う図面や設計図の多くは、
 建てられなければすべてゴミになる。

 死後に建てられることはない。
 歳をとり、彼はそれを強く感じていた」

と言っていたが、立ち寄ってみると、
円形の建物が実際に「建っている」ということの意味を痛感する。

建ててくれてよかった。
私に図面からそれを読み取る能力はもちろんないが、
およそ円形から想像しうるものとは全く違うワクワク感みないものが、
外から眺めたり、中に入ってみたりすると感じられるから楽しい。

円形は無味乾燥のようでも、
採光や訪問者の目に入ってくるレイアウト感は、
まさに体験してみないとわからない。

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「まちに開かれた公園のような美術館」
がコンセプトらしいが、屋外展示もあり、人の出入りも多く、
「公園のような」はいまのところ成功しているように思える。

 

「爽快感がなかった」と言いながら長々と書いてしまった。
治部煮、たらの刺身、梅貝、金時草、香箱蟹、がすエビ、
ごりの佃煮、かぶら鮨、加賀棒茶、のど黒のにぎり、生白子の寿司、などなど、
意識してちゃんと口にしたのは初めて、というものも多かったし、
街歩きそのものも、城下町ならではの道といい、歴史的な建築物といい、
新しい建築物といい楽しかった。
「また行ったら」という思いも大きく残してきたので、
いつかまたゆっくり行かねば、と思っている。

 

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2013年2月 3日 (日)

札幌出張 ウラ報告

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札幌出張 ウラ報告

国内出張時の仕事以外のウラ報告。
 
札幌では、一泊二日で7軒の食べ歩き。
今回は、訪問順ではなく「お店の場所で北から順」で紹介したい。

出張は、2009年8月8日から一泊二日。古い話です。

 

(1) 鮨の魚政

新千歳空港から見て札幌の一つ先、JR桑園駅からまっすぐ歩いて約10分。
中央卸売市場の丸果センター内。

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築地の場内同様、運搬機やトラックが忙しく動き回っている市場の一角に、
小売の店舗と飲食店が詰め込まれている丸果センターがあるが、その中の一軒。
カウンタのみ8名でいっぱいの小さな店内。 ご夫婦か、お二人のみでやっている。

席に着くと、オーダーをするための紙も手渡されるが、もちろん大将のお薦めでもOK。
なお、オーダー用紙には値段も明記してあるので、
お財布が気になる方も安心して注文できる。 一貫80円~350円程度。
私は待たずに入れたが、私が座ってちょうど満席。
三人は常連という感じで、あとの五人は私も含めて明らかに観光客。

最初に、青海苔(あおさ)の御味御付が出てきた。
この香りがじつにいい。もともと場内ゆえ、市場に独特の生臭さは当然避けられないが、
この御味御付の磯の香りで、一気に別世界に連れて行かれる感じ。

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ネタはもちろんどれも新鮮だが、鮮度のみを売りにする生きのいい刺身を
大きく切って握る、というタイプではなく、俗に言う仕事をしたというタイプの寿司。 
どれも一手間を感じさせるうえ、酢飯とのバランスがいい。

煮きりを塗って供されるので、自分で醤油を付けて、という行為は一度もせず。
写真で見ると煮きりの付けすぎのように見えるが、味としては醤油のように強くはないので、
そのまま口に運んでほぼベストの状態。 大将の気配り、目配りもよく、
寿司とともに好印象。満足度高し。

なお、繁華街へのアクセスを考えて、帰りは地下鉄東西線「二十四軒駅」を目指したのが、
道の交叉角度の関係か、方向感覚が狂ってしまい、ちょっとウロウロ。
鼻だけをたよりに「地図なしで」に挑戦していたので、迷ったからと言って
途中で携帯の地図を見てしまうのは、(誰と争っているわけでもないのに)
くやしくてなかなかできない。

 

(2) 金寿司

17:30ごろ電話をすると、
「今夜は予約でいっぱいで。
 でも、2時間といったコースで予約を取っているわけではないので、
 八時ごろもう一度電話してもらえないだろうか。
 六時からの予約のお客様がお帰り、という場合もあるので」
と丁寧な対応。 

言われた通り八時ごろ再度電話すると運よく空きあり。
「お店は九時半までですが」と申し訳なさそうに付け足される。もちろんOK。

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カウンタは、常連の中年夫婦、二十歳ぐらいの娘さんを連れた親娘三人組み、
鹿児島から来た一人旅の途中の高校三年生男子一名、それに私。

テーブルの注文をこなす人も含めてカウンタ内には職人さん4名。 
私の前には、その中で一番年上の方が。
一見さんにでも常連さんにでも、みなさん分け隔てなく対応してくれて、
寿司に関する薀蓄のみならず、
客のペースに合わせた気持ちのよい会話が流れる。
さすがプロ。

さて、お寿司。これまた仕事をしたというタイプ。

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穴子は上に乗せたわさびの下に少しだけ塩が忍ばせてあり、
タレがついているわけではないが醤油をつけずにそのまま食す。

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甘エビは海老のミソに塩辛を混ぜたタレをつけて、
ヅケはネタの上に、わさびの葉を同じく漬けにしたものを小さく刻んで少し乗せて、
コクのあるウニは軍艦巻きではなくシャリとウニのみの握りタイプで、
とどれもこれも一手間どころか二手間ぐらいかけたものばかり。 
小ぶりのシャリとよく合いうまい。

魚政同様ここでも一度も手元の醤油皿を使うことはなかった。
汁物も「アラ」と言っていたが、
骨を中心に魚の身だけを使って取ったダシが薄味ながら実にいい。

 

若い娘さんへの、常連の中年夫婦からの
「お嬢さん、いまごろからこんなにおいしい寿司を食べてると、
 彼氏になる人はたいへんだねぇ」
の一言から会話が妙にもりあがる。

「若いうちに、最初にいいもの、最高のものに触れるのはいいことか」がテーマ。

「そりゃ、最初から最高のものに触れるほうがいいに決まっている」
「いゃ、そこまでに存在するいわゆる中間のものを
 バカにするようになるから、かえってよくない。
 順々にいいものに触れていくのがいい」
「そもそも、良さがわからない状態で触れてもしょうがない」
などなど。

おもしろいテーマだ、と思っていたら、
「そんなことよりも、最初の、彼氏になる人はたいへんだ、だよ」
で急に話が戻って90度の方向転換。中年男たちの"古い"デートでの体験談義に。

 

「できれば来たい、と北大を見に来た」という高校生男子一名は
すべての会話を神妙に聞いている。
「お兄さん、男はこれからいろいろたいへんだよ」と 
常連さんは黙っている人への会話のフリも忘れない。

会話には乗れないものの、寿司の味には感激しまくっている高校生に、
「北大受かったら、食べたいときにいつでも来られるようになるンだから
 頑張れよ」の一言も。

寿司にも会話にも大満足。 
他のネタもいろいろ味わってみたい、と思わせる一店。

 

(3) ドゥ・エルミタアヂュ

女性バーテンダーNさんが仕切るバー。もう一人いたバーテンダーSさんも女性。
昼間たいへん暑かったので、
「テキーラベースでのさっぱりとしたカクテルを」で注文。

一杯目はモッキンバード。 
グリーンペパーミントのさわやかさがまさに期待したおいしさ。

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二杯目はブロードウェイ・サースト。 
本来はオレンジジュースで作るものをグレープフルーツで。
これまた暑かった一日の締めにぴったり。

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Nさんはこの道すでに30年以上という大ベテラン。
「カクテルに関して、30年で一番変わったことは?」の質問に
「フルーツの扱い。昔は使える果物はレモンぐらいしかなかった。
 ライムですら入手がむつかしくて。オレンジ、グレープフルーツなどが
 気軽に買えるようになったのもやっとここ20年ほど」

ライムに関しては、ライムジュースがあって、
それは有名なレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』にも出てきていて、
と、映画や小説でのお酒のシーンに話が広がっていく。 
やはり何を見ても、お酒が絡むシーンは気になるようだ。

 

「お酒のシーンで印象に残っているものあります?」と聞かれたので、
日英ともに覚えていたので映画「007 カジノ・ロワイヤル」でのシーンを披露。

ボンドとヴェスパーという美女との会話。
ボンドは新しく作った好みのカクテルを、VESPERと名づける。そう彼女の名前。
二人でのおしゃれな食事のあと、自分の名前をつけた理由を彼女(VESPER)はこう聞く。

ヴェスパー:Because of the bitter aftertaste? あと味が苦いから?
ボンド:No. Because once you've tasted it, that's all you want to drink.

戸田奈津子さんはこんな字幕をつけていた。 
「一度味を知ると他のものは飲めない」

聞き終わってNさん曰く
「いいですねぇ。でも、あと味が苦いって、何を入れていたんでしょうね?」
「スミマセン。台詞にはあった気がしますが、全く覚えていません」
「今度DVDで見てみますよ。
 007は古くから、お酒のシーンはわりとちゃんとできているンですよ」

 

禁酒法時代のアメリカの話、そのころ職を失いヨーロッパに渡ったバーテンダーの話、
質の悪い酒をごまかして飲むために広まったカクテルの話、などなどネタは尽きない。

開高健が
「なぜ男が一軒の酒場にかよいつめるか。
 説明は言葉でできるか、できないかのようなものだが、しいてあげれば、
 ストゥールのすわり心地と、カウンターが肘をどう吸いとってくれるか、だろうか」
と書いていたことを思い出した。

椅子はバーにしてはやや低めなるも、
まさに吸い取られるような重みのあるすごいカウンタゆえ、
ホテルが近かったこともあり、日にちをまたいで肘を乗せてしまった。
帰りはエレベータまで見送っていただいて。

ちなみのこのバーの住所は南三条。
「泣きながら走った」「よみがえる夏の日」と中島みゆきに歌われた南三条とは、
このあたりのことなのか、と思いながらホテルへ。

 

(4) HOKKAIDOミルク村

口に出しては紹介しづらいこの軟弱な名前。 すすきのの雑居ビルの6F。
四十男がひとりで寄れるものやら。 しかも、これはアイスクリーム屋?それともバー?
どんなメニューか、の説明はできるが、分類はむつかしい。
少なくとも私は同類のお店の経験なし。

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簡単に言うと、
「北海道の牛乳で作ったアイスクリームをスプーンにとる、
 それに、リキュールを数滴かけて一緒に食べる」

ホームパーティで、カルーアやベイリーズアイリッシュクリーム、
ゴディバのコーヒーリキュールなどをアイスクリームにかけて食べることはあるし、
コース料理のデザートでリキュールをかけたアイスクリームがでることはあるが、
それを単独で、しかも主力メニューにしているお店は初めて。

用意されたリキュールは130種類以上!
ごまかしの甘いまがい物ではなく、どれも本物、というところがミソ。
ちょっとの追加料金で、
ボトルウン十万円のヘネシーやロマネコンティを試してみることもできる。

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私は2種類のリキュール、のメニューで頼んだが、ご主人と話が弾むうち、
「これも試してみて下さい」
と、巨峰のリキュール、紅茶のリキュール、生キャラメルのリキュールも
サービスで味見させてもらえたため、結局5種のリキュールで楽しむことができた。

もともとの注文の2種は、
アルメニアのブランデー「ナイリの20年もの」と「ブラックベリーのリキュール」。
ナイリは、ヤルタ会談の際、ソ連スターリンが英チャーチルに出したところ、たいへん気に入り、
その後毎年400本を取寄せたというエピソードのあるお酒とか。

 

スプーンがカップのふちに乗るように工夫されているため、数滴たらすのも安定してできる。
アイスクリーム自体はおかわり自由。
数人で行って、沢山のリキュールを並べて試したら楽しそう。
最後に熱いコーヒーとクッキーがでるのものいい。

ご夫婦でやっていて、お二人とももちろんお酒に詳しいが、
なんと、娘さんが同様の店を銀座でやっているとか。

めずらしいタイプのお店かつおもしろい、ということで、
銀座にあるならこれは行かねば、と思ったが、
よく考えてみると使い方が結構むつかしい。 

四十男がいつ、だれと、どんなシチュエーションで行くか...

 

(5) 四季 花まる すすきの店

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回転寿司もひとつ試してみなければ、とここに狙いを定めたが、
駅ビルの回転寿司は混むらしいので、それを避けて6月に開店したばかりのすすきの店へ。
回転はしていないが、頼むと二貫づつ値段ごとに色の違う皿に載って出てくる。
つまり会計は皿を数えるタイプ。

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青そい、別名クロメヌケと呼ばれる白身魚が羅臼から届いたばかり、とのことでまずは青そいから。
見た目は淡白そうに見えるがあぶらが乗っていて旨みもある。
8月から本格的な漁が始まったという生さんまも。
こちらの方もおいしいけれど脂の乗りはこれからかも。
銀がれいは網走から。

いずれにせよ東京の回転寿司とは一線を画す味。店舗が新しくてきれいで気持ちいい。
「まだ、認知度が低くて」とお店の人が言うように、こちらは待ち時間なし。

 

(6) 白樺山荘 ラーメン横丁

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すすきのの「ラーメン横丁」の入り口かど。 カウンタ6席のみの狭い店内。
定番の味噌ラーメンを。 白味噌ベースながらかなり黄色いスープ。
さいころ状のチャーシュー。 ゆで卵は無料で食べ放題。 

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麺よりも具よりもスープが印象的。 ひっきりなしに客が来る。
おいしかったのに、文章がイマイチのらないのは、単にラーメンへの思い入れが浅いから。
ほんとにおいしゅうございました。お薦め。

 

(7) 函館 開陽亭すすきの店

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これは好みの問題かもしれないが、
寿司に関しては鮮度のみを売りにするようなネタの使い方は好きではない。
「刺身乗せ酢飯」じゃぁないんだから。
(自分で漬けを作るときは、まるまる一晩漬けてみることもある。
 魚のうまみ成分が全く変わり、別物になるくらいの変化が楽しめるのでお薦め。
 しょうゆ10、酒1、みりん1を一煮立ちさせた煮きり醤油が
 漬けるのにはぴったり。
 ちなみに金寿司では15分ほど漬けただけだったがこれも上に書いた通り絶品)

ただ、おいしい刺身は、それはそれでもちろん大好き。 
というわけで、刺身だけを味わうために、このお店に。

突き出しがニシンの切込み。ニシンを細かく切って糀を使って熟成させたもの。

実にいい味で期待度が高まる。で、「一人前刺身盛」。
写真をご覧あれ。これで一人前!

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つぶ貝、ほたて、北寄貝、たこ、時サケ、アブラコ(あいなめ)、八角、ぶり、
秋刀魚、ニシン、ウニ、甘エビ。これだけの盛り合わせで1340円。

醤油皿もわさび用としょうが用のふたつを用意してくれる。
どれもまさにぷりぷりで脂の旨みというかあまみがあっておいしい。
八角(中華の香辛料の八角ではない、念のため)を生まれて初めて食す。

 

ここは大型店で宴会の予約も。カウンタ席は5席のみ。
カウンタ席からは板さんの仕事の様子が見える。
ちょうど宴会のお客様、20名予約のところ2名が遅れてくるとの連絡があった様子。

それを聞いて、大将とおぼしき人が「料理の順番変えるぞ」と的確な指示をテキパキと出していた。
「何分遅れてくるの?」と中居さんに聞き、
「よし、じゃぁ、*を遅れてきた人にあわせて出すようにして、
置いておいても大丈夫な*を先にしよう」と。 
キビキビと臨機応変に対応する様は見ていて気持ちがいい。
刺身だけでも多すぎなのに、思わず生牡蠣も注文。もちろんこちらも◎。

 

最後に飲食以外のネタを少し。

 

(a) 札幌の地下鉄

問題 「この写真、東京の地下鉄と違うところはどこでしょう」

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正解
 + 風鈴が下がっている。 - ゆれるたび、ドアが開くたびによく鳴る
 + 網棚がない。 - なにか理由があるのだろうか?

 

(b) ミスウォーターズグランプリ

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すすきののど真ん中、一番通りの多いところでミスウォーターズグランプリの投票が行われており、
男性のみならず女性も結構覗き込んでいる。
「お水界のミスコン」とか。

すすきの界隈、独特のヘアスタイルゆえ一発でそれとわかるお姉さんたちが闊歩しているが、
印象的なのは数が多いことよりも、妙に明るくて元気なこと。
コンテストの投票も明るく行われるはずだ。

 

(c) 三岸好太郎美術館

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好太郎の妻、三岸節子の展示会でも運よくやっていればぜひ観たい、と寄ったがもちろんなし。
好太郎は力のある画家だが、節子の絵の方がずっと好き。
ほんとのほんとにすごい。
三岸節子記念美術館は愛知県一宮市にある。
夫は札幌、妻は一宮、どんな経緯かは知らないが、そんなに離れていなくても…

 

(d) “薄い”高層建築

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名称不明。札幌に大きな地震のないことを祈るばかり。

 

(e) 雑居ビル

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もちろん東京にも雑居ビルはたくさんある。
ただ、すすきのの特徴のひとつと思えるのは、業種の雑居度がハンパでないこと。
一店舗が小さく、ワンフロアあたりの店舗数が多いこともあるが、
ひとつのビルに集結している業種がもうめちゃくちゃ。

1Fにコンビニがあるビルに、割烹、スナック、居酒屋、カラオケ、ダンスフロア、
キャバクラ、マッサージ、ヘルス、エステ、ソープなどがさらりと看板を並べている。

出店の規制等が東京と違うのだろうか?

 

(f) 交差点の名

(写真はいつでも撮れる、と思っていたらつい忘れてしまった)
札幌の住居表示は南9条西2丁目のようにシステマティックでわかりやすいが、
よそ者にはひとつ問題がある。
京都のように通りを中心とした名前ではなく、
通りと通りとに囲まれたブロック状の地域に名前をつけているからだ。

こうなると、たとえば交差点の東南の角は南9条西2丁目、南西の角は南9条西3丁目、
北東の角は南8条西2丁目、北西の角は南8条西3丁目というところが出てくる。
さて、この交差点をどう呼ぶか。

交差点の北東の角に立っている信号には「南8条西2丁目」と書いてあるのに、
同じ交差点の対角線上の角に立っている信号には「南9条西3丁目」と書いてある。
同じ交差点を表す言葉が二つ、と言うか、[南8西2・南9西3]の組で初めて交差点が一意に決まる。
南9西3の名を持つ信号は[南8西4・南9西3]にもあるからだ。

同じような交差点の命名規則をもつ街は、これまで行った国内外でひとつも思い浮かばない。

 

(g) 札幌発大阪行き

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札幌駅で見かけたトワイライトエクスプレス大阪行き。札幌発で大阪行きか。
長距離寝台が減ったことが一時話題になったが、これは残っているンだ。
行き先を見ているだけで物語を感じさせるところがいい。

 

以上、札幌出張ウラ報告でした。

 

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