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金沢出張 ウラ報告
金沢に出張が決まった。
ちょっと調べてみると、観るものも食べるものも、
それはそれはネタがいっぱいある大観光地「金沢」。
これですっかり油断してしまった。
ある種の緊張感みたいなものが緩んでしまった感じで、
事前調査も現場でのハナも、どちらも「冴え」がイマイチ。
ヘトヘトになるまで動き回ったので、数にしては多くを楽しむことができたが、
今回は「爽快感」のない一泊二日となってしまった。
候補が多いことと、限られた時間の中で
どこまで深く楽しめるか、はあまり相関がないようだ。
まっ、こういうこともあるということで...
2010年12月4日(土曜日) (古い話です)
前日まで大荒れの天候であったが、低気圧は出発前に見事に通過。
当日は、朝焼けの中、羽田空港から見える富士山が美しい。
思ったよりはずっと大きく見える。
幸先のいいスタートじゃないか、と飛行機に乗る前から妙に気分だけ明るくなる。
早めに金沢に到着したので、仕事が始まる正午までは「近江町市場」に。
季節柄カニを中心に、おおいに賑わっている。
カレイやハタハタなどのほか、
「あんこう」がそのまま一尾、「みずだこ」がそのまま一ぱい、
氷の上に並べてあったりする。
とにかくどれもこれも色がキラキラしていて活きがいいのはよくわかる。
「お昼はうまい海鮮丼にでもしよう」とワクワクしながら、うろうろする。
が、いざ食べようとすると、
座って食べられるようなお店は11時から、というところが多い。
訪問先には正午にはいかないといけないので、
訪問先までの距離感もあやしい状況では、
11時から食べたのではちょっと危険、
というわけで、あまり考えずに開いているお店に入ることにした。
注文のほうも平凡に「海鮮丼、あら汁つき」。
昔、中島みゆきがオールナイトニッポンというラジオ番組をやっていたころ、
「私は、良くないと思った曲は自分の番組ではかけない、
それだけで十分だと思っている」
と短くコメントをしていたことがある。
人が作った曲が「良くない」と思ったとき、
どう良くないかを公共の電波に乗せていろいろ言っても
喜ぶ人はいないし、作品がよくなるわけでもない。
でも、と言うかだからこそ、
「いろいろ言わない。ただ自分の番組ではかけないだけ」
この短いコメントが、どんな批判よりも恐ろしく聞こえたことをよく覚えている。
で、突然なんでこんなことを書いているのか。
「良くないと思った店のことは、ウラ報告には書かない、
それだけで十分だと思っている」
という声がどこからか聞こえてくるからだ。
そう、詳しくは書かないが、入ったお店は最低だった。
味がいいのはあら汁くらい。ネタが悪いだけでなく接客も悪い。
一言で言うと「観光客をバカにしている」
書かない、と言いながらもう三行も書いてしまった。失礼しました。
結果として後味の悪いスタートとなってしまった。
そこから訪問先までは、
街の雰囲気と距離感をつかみたかったので歩いていくことにした。
途中、ギヤマンがはめ込まれている和・漢・洋が混ざり合ったような
めずらしい神門がある尾山神社にちょっと寄り、
香林坊の繁華街を抜ける形で歩いて行った。
香林坊には、ブランド店が並ぶ一角がある。
VUITTONやARMANIがおしゃれに並んでいる中、
見るとTIFFANYの汚れた店舗が。
いゃ、正確には元TIFFANY。
近所のコンビニが潰れたときにちょっと驚いたことがある。
閉店した翌日には、(お店の中はまだ散らかっているものの)
そのお店が元(もと)何であったかがわかるものが、
完全に撤去されていたのだ。
外の看板はもちろん、ガラスに張ってあったカラーフィルムや、
店内のポスターなどなど、びっくりするくらいきれいになくなっていた。
今、この閉店になったお店を初めて覗いた人は、この店が前日まで、
セブンイレブンだったかファミリーマートだったかわからない、というレベル。
たしかに、元**だったということがわかる状態で、
電気がついていない散らかった店が長い間放置されていれば、
かなりなイメージダウンに繋がるし。
イメージを守るってこういうことか、とちょっと記憶に残る出来事だった。
TIFFANYももちろん看板は外している。
しかし、石にここまで彫り込んじゃってあると上のものだけ外しても見え見え。
日本で三番目に開店した路面店らしいが10月末に閉店したとのこと。
TIFFANYのイメージそのままの外装なので、
そこから変えることになるのだろうか。
その後、こんな佇まいのフランス料理店の前を通過し
丁寧に吊るされた干し柿の風情にちょっと足を止められながらも仕事に。
土曜夕刻。無事仕事終了。金沢駅前のビジネスホテルにチェックイン。
さて、夜。
飲食店の多い香林坊あたりまで出るか、駅近辺で楽しむか。
香林坊あたりはなぜかまた別な機会に行くことがあるような気がしたので、
あえて店の少ない駅近辺で探すことにした。
少ないと言ったって、天下の金沢。どうにかなるだろうと。
ところがところが、歩き出してみると駅前はよく見る大型チェーン居酒屋ばかり。
特に制約があるわけではないのだから、さっさと香林坊方面に行けばいいものを、
ヘンな意地をはってしまい、駅近辺から離れられず。
で、最初の居酒屋。「たのむ!」という思いで暖簾をくぐる。
「居酒屋 なごみ」
カウンタに案内されたが、
一言二言交わしただけで、ご主人の人柄が伝わってきてほっとする。
今度は大丈夫そうだ。安心して注文の相談から。
まずは、刺身の盛り合せを日本酒は地元の日榮雪酒で。
中に鱈(たら)の刺身。
鱈って味のない魚、というイメージが先行してしまっていたが、
食べてみると日本酒によく合ってうまい。
そもそも刺身で食べるのは初めてかも。
丁寧に炒った真子を和えてあり、ちょっと上品な感じ。
梅貝も、甘くてコリッコリ。
ホタルイカの沖漬けで酒が進む。
治部煮(じぶに)も、鴨肉に小麦粉をまぶすところから一人分づつ作ってくれる。
かなりこってりタイプ。わさびを混ぜながら、と念を押されたが、
混ぜようとして見える中の「すだれ麩」の繊細な細工が美しい。
金時草(きんじそう)のおひたしも初めて。
やわらかいというよりもシャキシャキッとした歯ごたえでうまい。
噛むとちょっとぬめりがある。昼間、市場で見たときは、葉の裏が紫色で、
これが金時草か、とちょっと印象に残る色だったが、おひたしにするとよくわからない。
となりは、高齢の女性。
ひとつ空けて常連と思われる男性。ほかには観光客の若いカップル。
となりのおばあちゃん、
ひとりでカウンタの椅子に座れないくらい足元があやしいのだが、
よく来ているのか、お店の若い人が慣れたしぐさで上手に手を貸している。
ご主人が、私に対して料理の説明をしてくれるたびに、
「これはね、金沢ではどこの家でも食べるの」
などとちょっと補足をしてくれるのだが、
あやしいのは足元だけではなく、かなり聞き取りにくい。
首からは、大きな[1][2][3]のボタンだけがある携帯電話をぶら下げており、
おいしい肴がいっぱいあるのに一切肴は注文せず、
ビールだけをちびちびと楽しんでいる。
途中、大きな音で電話が鳴った。
「嫁からだわ」
と電話の方は慣れた操作。電話で呼ばれたのか、席を立った。
帰る際、座るときに助けてあげていたお店の若い人が、
「ちょっと送ってきます」
とごくごく自然におばあちゃんに付き添って出て行った。
これならビールだけでも寄りたくなるわけだ。
ご主人は、話をしていても実にすがすがしい。
「今朝、金沢に着いた、とのことでしたが、
お昼はなにを召し上がったンですか?」
と聞かれたので「残念だった」の話をした。
すると、カウンタの中にいて黙々と仕事をしていたもう一人の若い板さんが、
突然振り返って
「それはまずいよ!」
と急に怒り出した。それまで温和に話をしていたご主人までも
「ひどいなぁ」
と若い板さんに同調するように語気が強まっている。
一緒に怒ってくれたうえに、お昼の店とおそらくなんの関係もないであろうに
「遠くから来てくれた人に不愉快な思いをさせてほんとうに申し訳ない」と
丁寧に私に対して謝ってくれた。
予想外の事態に、私の方は驚くやら恐縮してしまうやら。
でも、妙にうれしかった。
結局、どんな不愉快なことがあっても、
「そりゃ、ヤな思いしたねぇ」
と気持ちを分かってくれる人が一人でもいれば、それだけで救われるものだ。
その後もお薦めにのって、香箱(こうばこ)蟹を。
このお店では、カニの風味そのものを味わってもらうために、
リクエストされない限り、酢醤油などのタレは出さないのだとか。
食べてみるとほんとになにもつける必要なし、の意味がよくわかる。
すっかり、気分がよくなり、
二軒目は、カウンタにいた地元の方お薦めの寿司屋に。
この寿司屋、
店の周りは繁華街ではなくちょっとさみしい感じだが、
入ってみるとかなり賑わっている。地元の人が多い。
清潔感あふれる気持ちのいいカウンタ。
寿司はたしかに美味しかった。
がすエビは甘エビよりずっと味が深い感じがしたし、
イカに「塩とすだち」という組合せもイカの甘みがよく伝わってきていい。
寿司ではないが、地元の「ごり」という川魚の佃煮も、いやみのない甘さが、
握りと握りの間の気分を変えてくれて悪くない。
しかし、しかし。
最初に、地元のネタについての話を聞いているころから
なんとなくイヤな予感がしていたのだが、まさに的中してしまった。
話を聞かせてもらったあと、
「じゃぁ、それとそれ、いただいてみようかな」
と注文を決めると、二人の職人が分担して同時に握って、
食べ終わってもいないのに何貫もほとんど同時に、次々と前に並べていく。
まだ一つ目を食べはじめたばかりなのに、乾いちゃうじゃないか。
最初は、なにかの間違いか偶然だろう、と解釈しようとしていたが、
重なる態度に明らかに強い意図を感じる。
なにか嫌われるようなことでもしたかな、と
思わず振り返ってしまう自分が情けない。
味はいいンだから、ゆっくり味わう時間をくれぇ。
結局、
「食べるだけ食べて、さっさと帰ってくれ」
と言わんばかりのせかし方に屈して、早々に退散。
やっと気分よくなっていたのに、今日はほんとにツイてない。
「なごみ」に戻って、またあのご主人と若い板さんに癒されたい気分。
飲み食いはもうやめて、夜の街の写真でも撮るか、とうろうろしていると、
暗い中から突然大きな「パン!パン!」という音が。
驚いてキョロキョロすると、近くの小さな神社にお参りしている女性の姿が。
まさか柏手(かしわで)の音とは思わなかった。
髪はストレートで長いが、
スカートは、そのままカメラを持って近づいたら捕まってしまいそうなくらい短い。
頭を深く下げ、丁寧にお参りしたあと、
足元においてあった大きな生花の花束を抱き上げて、足早に去っていった。
20代半ばという感じ。夜、若い女性が暗い中で神社にお参りしたからといって、
別に特別なことではないのかもしれないけれど、いろいろと想像が膨らむ。
中年オヤジのただの妄想とも言うが。
翌日の日曜は、飛行機の時間まで観光をメインに市内を回った。
まずは、茶屋街から。
『茶屋街』
ひがし茶屋街
主計町茶屋街(「かずえまち」と読むそうな。屋敷のあった元藩士の名前からとか)
にし茶屋街
と、どこも風情があっていいが、やはり寄るなら夕暮れ時かも。
ひがし茶屋街にある案内板を見て、奥に連なる寺院群があることを知る。
その密集度にひかれて少し回ってみることにした。
歩いてみると実にいい。
辻を曲がるたびに土塀の景色がかわり、次は次はとどんどん奥へ導かれてしまう。
ちなみに知らないと読めない主計町「かずえまち」。
金沢は、1963年に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され、
主計町も一旦は尾張町に。
そのころ、多くの町名が消滅したらしい。悲しい話だ。
その後、味わいのある旧町名の復活を望む声が高まり、
1999年、全国初の旧町名復活ということで、主計町が戻ってきたとのこと。
『木造住宅』
市内を回っていると、三階建て以上の木造住宅が数多く残っていることに驚く。
どれもまさに老舗という感じで、現役なのがいい。
藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築した「金沢市老舗記念館」
のように、大きくて迫力のある木造建築も、市内には観光用に数多く残してあるが、
多少小さくても傷んでいても「現役」の建物が持つ空気は、ほんとうに魅力的だ。
『黒瓦』
多くの建物で使われている黒瓦。最初は気付かず濡れているのかと思った。
いわゆる釉薬瓦で艶があり光っている。屋根にアーチ状の雪止めがあるのも特徴。
関東でよく見るいぶし銀とはまったく違う。寒さに強い瓦なのだろう。
二日目の食べ物ネタも少し。
『金沢料理 四季のテーブル』
青木悦子の、と個人名がつく「かぶら鮨」をいただく。
なれ寿司のひとつ。
塩漬けにしたカブに塩漬けにしたブリの薄切りを挟み込み、
米麹に漬け込んで醗酵させたもの。
麹にコクがあっていい。酒に合いそう。
『和カフェ つぼみ』
小さなお店ながら城の石垣の一部を借景のごとく使う窓の使い方で、粋な店内。
「本葛もち」をいただく。
氷水に浮いた、まさに雑味のない葛もちは、ほんとうに美味しかったが、
葛もち以上に印象的だったのは「きなこ」。
細かく挽いてあり、味はもちろん、とにかく香りがいい。
思わず感想を伝えると、
「今、ウラで挽いたばかりですから」
一緒に出てくる加賀棒茶との相性もバッチリ。
加賀棒茶は、玉露を作る際の新芽の茎を使ったほうじ茶とか。
「金沢ではほんとによく飲まれるこんなお茶なんですよ」
とわざわざ茶葉というか茶茎を見せて下さった。
味は本物だし、お店の方の対応もいいので、観光時の午後のお茶にお薦め。
二人以上で訪問して、「本葛もち」と「本蕨もち」との両方が食べられればベスト。
『もりもり寿し近江町店』
回転寿司もひとつはトライしてみようと、
前日のイヤは記憶を打ち消すようにおそるおそるまた近江町市場に。
一般的な回転寿司だが、回っている皿を取る人は少なく、
皆元気にその都度声をかけて握ってもらっている。
しかも、日本海三点盛りとか、白身三点盛りとか、
これまたいかにも観光客が注文しやすいよう、
最初からセットのメニューを用意している。
のど黒、生白子、ズワイガニなど、金沢ならではのものをいくつかいただく。
ネタも豊富で、回転寿司としてはおいしく食べられたが、
今回の出張では二回も寿司屋でィヤな思いをしたせいか、
どうも平静な気持ちで味わえない。
金沢の寿司は、やはり日を変えてちゃんと仕切り直したい。
『甘納豆 かわむら』
にし茶屋街の一番奥。
大納言小豆はもちろん金時豆、大豆、ひよこ豆、などなど、
さらには丸まるの栗まで、15種類以上の甘納豆が並ぶ。甘さは控えめ。
それぞれの豆の質感を残しながら、
豆自体のおいしさがふっくらと感じられるところが絶妙。
小分けされた袋は250円から500円ぐらいと、おみやげに買いやすい。
街歩きの話題に戻って
『武家屋敷跡界隈』
ちょうど冬用の土塀の「菰(こも)掛け」が終わったばかりだった。
金沢の冬の準備というと、兼六園の雪吊りが最初に浮かぶが、
土塀を守るための菰掛けもかなりの手間であろう。
地元のボランティアと思われる方が、
揃いのウインドブレーカを着てあちこちで武家屋敷の説明をしており、
回りに観光客が集まっている。
定年退職後の歴史好きのおじさん、といった感じの方が多い。
土塀に着いた雪が解けて土塀に染み込み、
その染み込んだ水分が内部で再び凍ってひび割れの原因となる、
それを予防するために菰を掛ける、ということらしい。
丁寧な仕事は見た目もほんとうに美しい。
しかし、一方で、どうして漆喰や板張りのような
手間のかからない塀にしなかったのだろう、などと
つい効率だけを指標にした見方での疑問も湧いてしまう。
改めたいクセだ。
『城下町の道』
金沢の街歩きで、ちょっと楽しみにしていたことがある。
金沢という街、実は二回目なのだ。
前回はウン十年前、高校三年生の夏休み。
一人旅をした際、立寄った。
あのときは、ネットもないし、お金もないしで、
詳しい観光情報にも、おいしい物にも全く縁のない旅であったが、
そんな中、強く印象に残ったことがある。
それを再度経験できるか、トライしてみたい、と思っていたのだ。
それは何か。 lostつまり「道に迷う」ということ。
目的地を定め、地図を見ながらだいたいのルートを思い描く。
歩き出す。
曲がるつもりにしていた交差点のそばまで来たら、そこで曲がらずに、
一本または二本手前で曲がってしまう。
曲がってからは地図を一切見ずに、
方向感覚のみで、本来の目的地を目指す。
地図を見るのは好きな方だし、
方向感覚もそれほど悪い方だとは思っていないのだが、
高校生のときと同様、今回も、こんな簡単なことで「迷う」ことができた。
歩けば歩くほど自分がどこにいるのかわからなくなってしまう不思議さ。
やるなら初めての道、かつ、地図が頭に入ってしまう前にやらないと、ではあるが、
だまされたようで楽しく、はまってしまう。
なぜ、こんなことになったのか。自分はどこを歩いていたつもりだったのか。
あとから振り返って地図を見るとおもしろい。
直角に道が交わっていなかったこと、
平行だと思っていた道が実は角度をなしていたこと、
カーブの緩急が組合わさって方向感覚が狂ってくること、などなど
迷わせる要素がいろいろあることが発見できる。
地図だけを冷静に眺めるとそれほど複雑には見えないが、
地図なしで実際に飛び込んでみると、この街、迷える率はやはり高い気がする。
ところで、
「私、方向音痴なの」
と女性が口にするとき、なぜか嬉しそうというか、
自慢げに言うことが多いのはなぜなのだろう、
というのは私の長年の疑問のひとつなのだが、
まぁ、これは今回の件とは関係ない。
失礼。
『石垣』
本丸南面の高石垣。
野面(のずら)積み、打ち込みハギ、切り込みハギと
さまざまな種類の石垣を見ることができる金沢城。
手法はいろいろあれど、
やはり「高い、大きい」ことはもうそれだけで迫力があっていい。
『金沢21世紀美術館』
フリツカー賞を受賞して話題になった、
妹島(せじま)和世+西沢立衛(りゅうえ)/SANAAの設計。
完全な円形の建物。入り口は4つあるが、どれが正面、というわけではない。
よってウラという感覚もない。
作家ブレンダン・ギルが、
80歳を過ぎても精力的に仕事をこなす建築家フランク・ロイド・ライトのことを
「建築家は建ててこそ建築家といえる。
それが音楽とはまったく違う点だろう。
演奏されなかった曲でも100年後、注目されたりする。
だが、建築に使う図面や設計図の多くは、
建てられなければすべてゴミになる。
死後に建てられることはない。
歳をとり、彼はそれを強く感じていた」
と言っていたが、立ち寄ってみると、
円形の建物が実際に「建っている」ということの意味を痛感する。
建ててくれてよかった。
私に図面からそれを読み取る能力はもちろんないが、
およそ円形から想像しうるものとは全く違うワクワク感みないものが、
外から眺めたり、中に入ってみたりすると感じられるから楽しい。
円形は無味乾燥のようでも、
採光や訪問者の目に入ってくるレイアウト感は、
まさに体験してみないとわからない。
「まちに開かれた公園のような美術館」
がコンセプトらしいが、屋外展示もあり、人の出入りも多く、
「公園のような」はいまのところ成功しているように思える。
「爽快感がなかった」と言いながら長々と書いてしまった。
治部煮、たらの刺身、梅貝、金時草、香箱蟹、がすエビ、
ごりの佃煮、かぶら鮨、加賀棒茶、のど黒のにぎり、生白子の寿司、などなど、
意識してちゃんと口にしたのは初めて、というものも多かったし、
街歩きそのものも、城下町ならではの道といい、歴史的な建築物といい、
新しい建築物といい楽しかった。
「また行ったら」という思いも大きく残してきたので、
いつかまたゆっくり行かねば、と思っている。
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