銀座で聞いた小さな物語
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銀座で聞いた小さな物語
銀座にAC(仮名)という小さなバーがあった。
小柄なマスタAさんが一人でお酒を作ってだしていた。
Aさんの人柄にひきつけられて集まる客は、
お酒が大好きで研究熱心なAさんの作り出す新作カクテルの実験台に、
ワイワイ言いながら、喜んでなっていた。
実はAさん、ACでマスタをする前、
やはり銀座でPB(仮名)というお店をやっていた。
ある日、PBが、はやりの情報誌に載った。
すると雑誌が発売になったその夜から、一見さんが店に溢れた。
初めて来ていきなり「マスタ、お任せで頼むわね」なんて
注文してくる賑やかな客に、常連さんはいい思いはしなかった。
店は流行ったが常連さんは遠ざかり、Aさんも悩む日々が続いた。
結局、AさんはPBを後輩に譲り、別な店ACを開いた。
Aさんを慕っていた常連さんは、いつのまにかACに移ってきた。
私自身はPBのことは全く知らないのだが、
ACでは、客同士がそんな思い出話をよくしていた。
そんなACで、「言葉の力」みたいな話題で
大いに盛り上がったことがある。
メンバは、マスタと私、それに男性一人、女性一人の計4人。
これから先は、その時に聞いたAさんの体験談。
Aさんが若かった頃のこと。
もちろんまだマスタではなかったが、
あるお店ですでにシェイカーを振っていた。
そのお店に、ときどき来るお客さんの中に、
気になる女性が一人いた。
年齢はAさんよりは上。
センスよく着こなしている洋服も、
手入れの行き届いた長い髪も
当時のAさんにはすごく「大人の化粧」に見えたメイクも、
仲間と楽しそうに話す様子も、全ての点に品があって、
若いAさんには「強い憧れ」と映っていた。
話を聞いている我々ですら、
「そんな人がいるのならひと目、会ってみたいものだ」
とひやかしながら話を聞くほど。
もちろん二人の間に何かがあったわけではない。
何かどころか、「私的な会話は一言もなかった」と言う。
カウンタの中から、黙って憧れて眺めている、
そんな関係だった。
ある日、いつもは仲間と飲みに来る彼女が
たった一人でお店にやってきた。
カウンタに座る彼女を、Aさんは緊張しながら迎えた。
「でも顔は喜びを隠せなかったはず」とAさん。
2杯目のカクテルを飲んでいる頃、彼女がAさんに話し掛けてきた。
ありきたりな、差し障りのない短い会話の後、
彼女は小声で信じられないことを口にした。
「このお店にときどき来ていたのは、
実はAさんに会いたかったからなの」
「今からお店出られない?」
Aさんは耳を疑った。
「どうやってお店を出たか思い出せない」
Aさんと彼女は、二人で夜の繁華街を歩いた。
「彼女が腕を組んできた時にあたった胸の感触が
今でも腕に残っているくらい、うれしい時間だった」
とAさん。
二人はレストランに入り、食事をした。
「彼女のこんなにそばにいられるなんて」
細かいことまでよく覚えているAさんの話に、
三人とも身を乗り出すようにして、引き込まれていた。
舞い上がっている時間の中、彼女はAさんに聞いた。
「Aさん。 Aさんは女の人、知ってる?」
驚いた。
どう答えるべきなんだろう、と一瞬迷ったが、
ちょっとの間ののち、正直に頷いた。
と同時に
「今夜は間違いない、と
心の中で歓喜の声をあげていたよ」
「こんなことがあっていいのか」
「この会話は、このあといったいどうなるンだ?」
Aさんがしばらく黙っていると、突然彼女は
「ねぇ、Aさん。人間には目が二つあるわよね」
「...」
「耳も二つ。手も左右。上下があって、男と女がいて」
「???」
「世の中には二つで一つ、というものがいっぱいあるわ」
とわけのわからないことを言い出した。
話についていけずにキョトンとするAさんに、
彼女はゆっくり、説くように話を続けた。
「あなたは、女の人しか知らないわ。
でもそれは、この世の中を片目で見ているようなものなの」
目の前の景色が変わった。
目の前にあるものは何一つ変わっていないのに、
Aさんにとっては全てが一瞬のうちに変わってしまった。
一秒前まで、あれほどまでに憧れていた彼女。
もちろん何一つ確認したわけではないが、
Aさんは店を飛び出して、走って逃げるように家に帰った。
以後、二度と彼女に会うことはなかったという。
「言葉の力、と言うと思い出すのはこの話かなぁ」
「でもね、あなたはこの世を片目で見ているようなもの、
と言われたことは、いまでもときどき思い出すンですよ。
片目かぁ、って。
まっ、いまでも片目のままなんですけどね」
とAさん。
その後、Aさんは、ホテルのバーの責任者に引きぬかれたりして、
何度かお店をかわったが、どの店でもおいしい酒を作り続けていた。
ところが現在、行方不明。
どこかでシェイカーを振っていることだけは、間違いないと思うのだが...
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