トルコ旅行記2012 (20) イスタンブール メフテルハーネ(軍楽隊)編
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(20) イスタンブール メフテルハーネ(軍楽隊)編
2012年7月15日
軍事博物館に来たのには、展示物を見る以外にもうひとつ大きな目的があった。
それは、メフテル(トルコの伝統的な軍楽)の生演奏を聴くこと。
どんな編成による演奏なのかはまったく知らなかったのだが、
それほど大人数ではないだろう、と勝手に思い込んでいたので、
専用の大きな演奏会場に案内された時はびっくりしてしまった。
ちょうど日曜日だったせいか、会場もどんどん人で埋まっていく。
軍楽隊はメフテルハーネと呼ばれている。
やがて屋外から演奏・行進しながら、メフテルハーネが入ってきた。
演奏会場のステージ裏扉が大きく開き、屋外からステージに
そのまま入ってくることができるような構造になっている。
演奏もさることながら、演奏時の服装も一見の価値がある。
皆、口ひげをたくわえている。
博物館の展示で見た鎖帷子(くさりかたびら)を着ている人もいる。
特に曲の解説はなく(トルコ語で説明されてもわからないが)
次々と連続して数曲が披露された。
演奏された曲の中には
「ジェッディン・デデン 'Ceddin Deden'(祖父も父も)」もあった。
今から30年以上も前に放送されたNHKのドラマ「阿修羅のごとく」でも使われたこの曲。
YouTubeにいい動画があったので下に貼っておく。
一度でも聞くと忘れられない独特な音色、メロディなので、
覚えている方もいらっしゃることだろう。
まぁ、それにしても音楽はやっぱり生で聴くものだ。
テレビで聞くと、メロディやリズムなど表面的な特異さだけが印象に残るが、
実際に「生」で聞くと音楽そのものをもっと立体的に味わうことができる。
どの曲も、大きな音量で演奏される迫力あるものだが、
少し耳が慣れてくると各パートの楽器の音がだんだん聞こえてくるようになる。
曲も演奏も、軍楽ゆえ繊細なものではない。
しかし、ズルナと呼ばれるけたたましい音の管楽器、ダウルと呼ばれる打楽器、
よく音が通るシンバル、それらにほかの楽器の音や歌が重なって、
いままで聞いたこともないような音の空間が出来上がっている。
楽器や服装だけでなく行進や指揮者の様子からも目が離せない。
「けたたましい」と書いた、その、一番大きな音を出して、
主にメロディをとっているズルナという管楽器はダブルリードだ。
オーボエやファゴットの原型らしいが、オーボエやファゴットのような音の繊細さは全くない。
音を発生させる、葦(あし)をうすく削ったリードが2枚ある点はまさにオーボエなどと同じだが、
ズルナは、リード全体を口の中に入れて、リードをフル振動させているらしい。
大きくけたたましい音がでる分、細かい音色のコントロールはできない。
一方オーボエやファゴットは、リード自体を唇で挟んで演奏するため、
音色の細かいコントロールが可能になる。
ちなみに、ラーメンのチャルメラも典型的なダブルリード。
そもそもチャルメラという言葉自体が、「葦」の意のラテン語calamusを語源とした
チャラメラ(charamela)から来ているらしい。
もちろん軍楽隊では繊細さよりもなによりも大きな音が必要。
そういう意味でズルナは重要な要件を満たしている。
四拍子系の曲が多いので、ズンズンとどっしり歩いている感じはあるが、
曲に戦意高揚という要素があるか、と聞かれるとちょっと首をひねってしまう。
あれで戦意を煽りたてられるであろうか。
独特な曲調ゆえ、連帯感を感じて士気が高まる、ということは考えられるような気がするが。
実はこの音、敵方にも影響を与えている。
イェニチェリの強さを知っていた他国は、この音を聞くだけで軍隊の存在を知り、
怖気づいてしまったということもあったらしい。
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
紀元前の孫子の兵法の時代からまさに最善の戦い方だ。
それにこの軍楽が役だっていたのなら、まさにもうそれだけで十分だ。
ところで、モーツァルトにもベートーヴェンにも「トルコ行進曲」と呼ばれる曲があるが、
それらとの共通点はどうだろう。
どちらの曲も、ここで聞いたメフテルハーネの曲とメロディが似ているようには思えない。
モーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調K.331 通称「トルコ行進曲付き」
有名なトルコ行進曲は第三楽章。この曲だ。
譜面にはALLA TURCA(トルコ風に)という指示があるが、どう弾けばトルコ風になるのだろう。
ザルツブルクの大司教と衝突して解雇されたモーツァルトは、宮廷音楽家としてではなく、
当時としてはきわめてめずらしいフリーの音楽家としてウィーンで活躍を始める。
当時のウィーンは、長く脅威にさらされていたトルコに打ち勝って百周年ということで、
逆にトルコの音楽がたいへん流行していたらしい。
この曲の作曲年は正確にはわかっていないが、
第二次ウィーン包囲を打ち破り、トルコ戦に勝利してちょうど百年目にあたる1783年に、
まさにそのウィーンで作曲された、という説が最も有力と言われている。
ザルツブルクからウィーンに拠点を移したモーツァルトは、フリーの音楽家ならではの
形式にとらわれない斬新な曲を発表しようと意識していたのかもしれない。
意外性と流行の取り込みを天賦の才能でまとめている。
意外性はいきなり曲の冒頭にある。
まずは速いテンポで始まる、が一般的であった古典派ソナタ形式の時代に、
第一楽章をアンダンテ(歩くような速さで)というゆっくりしたテンポで始めたのだ。
当時の人々にとっては、これだけでもインパクトのある曲作りだったようだ。
流行していたトルコの音楽を意識した第三楽章は「トルコ行進曲」として登場する。
この楽章、出だしの部分はたいていこのように演奏される。
ところが、モーツァルトが書いた元の譜面では、
となっている。
この短前打音のほうが、まだ「トルコ風」な感じがでるような気がするのだが...
どうして16分音符4つが一般的になってしまったのだろう。
今年はグレン・グールドの没後30年ということで、
ラジオでは彼の演奏を聴く機会が多い。
トルコから帰って来て、ラジオで偶然、グールドの演奏による「トルコ行進曲」を聞いた。
グールドとモーツァルトという組合せに、あまりいい予感はしなかったのだが、
聞いてみると、逆な意味で裏切られた。
メフテルハーネの音を意識的に探しながら聞いたからだろうか。
他に例がないほどの低速演奏だが、改めて聞くと
左手、特に頭の拍に強いアクセントをおいた小節の分散和音に
メフテルハーネの音の響きが感じられるのだ。
この曲はそもそも、いろいろな楽器の音色を連想させる
オーケストレーション色豊かな名曲だが、
ちょっと無理やりにでもメフテルハーネの音を探そうとすると、
また新たな別な面が見えてくる。
さすがモーツァルトというべきか、さすがグールドというべきか。
お別れに、そのグールドのトルコ行進曲を。
この低速演奏は、初めて聞くとちょっと驚くが、何回か聞いているうちに、
これが適切なテンポかも、とさえ思えてくるから不思議。
(21) ひとやすみ トルコと日本の友好関係編に続く。 (旅行記の目次はこちら)
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