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2012年11月11日 (日)

トルコ旅行記2012 (19) イスタンブール 軍事博物館編

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(19) イスタンブール 軍事博物館編


2012年7月15日

ルメリ・ヒサールをゆっくり見学したあとは、バスで新市街に戻り、軍事博物館を見学した。
ここは入館料のほか、カメラを持ち込むと一台に付8トルコリラの「カメラ入館料」がかかる。

地味な入り口ではあるが、内部はおどろくほど広く、その展示の規模はすさまじい。
とにかく長い長い戦争の歴史がある国なので、
戦法についても武器についても、時代別にものすごい量の展示がある。

大砲等大物もあるが、小さなものでも実物を見せられるとかなりインパクトがある。
たとえばこれ。

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金属製のネットで作られたシャツ。いわゆる鎖帷子(くさりかたびら)。
英語では[MAIL SHIRT 15th century]と書かれていたので、
15世紀の郵便シャツ、郵便シャツって何? と思ってしまったが、それは単に私の単語力不足。
chain mailまたはmailだけで「鎖帷子」の意味があることはあとで辞書を引いて知った。
防刃着として効果があったと思われるが、重さはどの程度なのだろう。

そんな中、全体から見れば地味な展示ではあるが、
江戸時代に徳川家がトルコに送った刀も展示されていた。
もちろん三つ葉葵の紋が入っている。

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他にも、
どうやって持つのだ、というような長い長い鉄砲やら、

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弾が自動補填されるマシンガンの原型やら、

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人間だけでなく戦闘の馬を守る「馬用の鎧」やら、

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とにかく展示物が多く、ゆっくり見ているとどれだけ時間があっても足りない。

 

もちろん、ビザンチン帝国を滅亡させたコンスタンティノープルの陥落関連は
かなり力をいれた展示になっている。

実際に触れたことで、ルメリ・ヒサールでは思わず興奮してしまった金角湾を封鎖した鎖も、
このように長いものが水を意識してか青い光の中に置かれている。
もちろんこちらは触れることはできない、見るだけだ。

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見てきたばかりのルメリ・ヒサール全体の様子がわかる模型もあった。

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さて、前回のルメリ・ヒサール編の最後に触れた金角湾封鎖に対する
トルコ軍の奇策についての話をしよう。

金角湾は文字通り鎖で封鎖された。博物館にはこんな模型もあった。

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写真の中央斜めの線が金角湾を封鎖した鎖だ。

金角湾に船で入れなくなったトルコ軍はどうしたか。

なんと船を陸にあげ、陸上輸送で金角湾の中に船を運び入れることにしたのだ。
しかもそのルートは平坦な地形ではない。丘越えだ。

赤矢印のようなコース。展示にあった地図も添えよう。右側青い点線の部分だ。

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その時の様子について、再び、塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」を参照してみたい。(水色部分)

翌(1453年4月)二十二日も、まだ夜も明けぬうちに呼びだされた不正規軍団の兵たちは、
前日と同じ場所に集まるように命じられた。
だが、その日は、まったくちがう作業が待っていた。・・・
艦隊の陸越えをしようとしているのだ。

セルビアの騎士は、驚きよりも、恐怖で身が震えそうだった。

いったいどうやって陸上を運ぶのか。

木製の軌道には、動物の脂(あぶら)がまんべんなく塗られる。
車輪つきの荷台は、一対で組みにされ、その上には、海中から引きずりあげた船がのせられた。

帆柱には帆も張られる。ちょうど都合良くも、海から丘に向って風が吹いていた。・・・

牛の群れに引かれ、多くの人に押されて、坂になった軌道を船は丘に向って移動し始める。

ガラタの丘の最も高い地点は、海抜六十メートルは十分にある。
頂きに向って押しあげた船は、そこで漕ぎ手を乗せ、
上り坂と同じようにつくられた下り坂の軌道を伝って、
金角湾の中にすべりこむ仕かけになっていた。・・・

七十隻におよぶ船が、次々とそれにつづいた。

展示の模型にはその様子も作られていた。

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金角湾全体の様子。左側に鉄鎖、右側がオスマン艦隊の丘越え。

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次々と丘を越えて運び込まれる船を目の当たりにしたビザンチン帝国側の人々の驚きは、
想像すらできない。

金角湾側の城壁の上にいた監視兵の一人・・・は、
説明の言葉が見つからないとでもいうように、ただ手で前方を指してわめくだけだ。・・・

声もなく立ちつくす人々の視線の向うに、赤字に白の半月の旗をかかげた船が、
次々とすべりこんできたのである。・・・

白昼夢を見る想いであった人々の眼の前で
一団となって金角湾の奥に向うトルコ艦隊は、まぎれもない現実だったのである。

それだけで金角湾の制海権が、敵の手にわたったわけではないが、
その約一ヶ月後、コンスタンティノープルはついに陥落する。

 

今日はここまで。

お別れに、金角湾を失ったころのビザンチン帝国側、ヴェネツィア人やジェノヴァ人の様子を。

ヴェネツィア人もジェノヴァ人も、海の民であるだけに、
海側の守りが完璧でなくなった場合の防衛の困難は、知りすぎるほどよく知っている。

夜の闇にまぎれて、ガラタの居留区から救援物資を運んでくる小舟や、
自らも戦うつもりで防衛軍に志願してくる「ガラタの住人」の数が、
一段と増したのであった。

居留区の許可がないと船もつけられないガラタの船着場に、
ヴェネツィアの船が砲撃を避けて逃げこんでも、
以前のように気まずい空気になることもなくなった。
ヴェネツィア人もジェノヴァ非難の口を閉ざすようになる。

幸福も人々の心を開くのに役立つが、不幸もまた、
同じ役目をすることがあるものだ。

 

(20) イスタンブール メフテルハーネ(軍楽隊)編に続く。 (旅行記の目次はこちら

 

 

 

 

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