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2012年10月21日 (日)

トルコ旅行記2012 (13) イスタンブール トプカプ宮殿 後編

トルコ旅行記 2012/7/8-7/17 (旅行記の目次はこちら


(13) イスタンブール トプカプ宮殿 後編


2012年7月14日

ハレムを出て、トプカプ宮殿のほかを見て回る。

【謁見の間】

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天蓋のある大きな大きなソファといった感じ。部屋は天井も美しい。

 

【宝物殿】

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入り口近くの柱にはいろいろな種類の石が使われている。

中は衣装から始まり各種宝物が並ぶが、とにかく各国からの貢物がすごい。
最初は驚きながら見て回るが、あまりの高価なものの連続に途中から感覚が麻痺。
一言で言えば、それだけのものを貢がれる「力のある」国だった、ということなのだろう。
内部は写真撮影ができない。

86カラットのダイヤモンドを49個のダイヤモンドで取り囲み涙型にまとめた
「スプーン屋のダイヤモンド」は、ダイヤの原石を拾った漁師が、
市場で3本のスプーンと交換したことからそう呼ばれているらしい。

8万枚の金貨を溶かして作った重さ250kgの玉座、
3つの大きなエメラルドが埋め込まれたトプカプの短剣、
重さ3kgを超えるという世界最大のエメラルドなど、ここだけでも丁寧には見切れない。

 

宝物殿を出ると海が広がっている。アジア側がよく見える。

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【メジディエ・キョシュキュ】

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大理石のテラス。
ここからのボスポラス海峡の眺めは素晴らしい。海の向こう、右側がアジア側。

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コンテナ船がゆっくり進んでいる。
見ると長女Hが勤める会社のコンテナが多く積まれている。

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思わず写真を取り、夜、ホテルのWiFi経由で長女に送る。

 

第四庭に向かっている玉座。

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【ソファ・キョシュキュ】

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キョシュキュとは「あずまや」の意味らしい。第四庭の中央、明るい位置にある。

 

【バグダット・キョシュキュ】

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ムラト4世のバグダット攻略(1638年)を記念して作られた優美な建物。タイル装飾が素晴らしい。

 

【イフタリエ】

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金色屋根部分。
ラマザン月に一日の断食を終えて、夕刻の食事をする所らしいが、とにかく景色がいい。
金角湾がよく見える。

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【皇子の割礼室】

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ここのタイルも必見。

 

別館には、預言者ムハンマド縁の品々を始め、イスラム教預言者の遺品関連の展示もある。
ここも写真は禁止されていたが、イスラム圏からの旅行者は、
86カラットのダイヤよりもずっとずっと熱心に、
まさに食い入るように見入っていた。

とにかくこの預言者関連の展示物は、どれもものすごい人の群れで、しかもその流れが極端に遅い。
入場者の熱心度、集中度みたいなものが数値化できたなら、ハレムよりも、宝物館よりも、
預言者の遺品のほうが上に来ることは間違いないだろう。
写真は禁止されていたが、皆の視線で展示物が痛むのではないか、と心配になるほどの熱気だった。

 

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【アフメット三世の図書館】

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内部も見られるが、本は一冊もない。

 

【スルタンの調理場前】

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残念ながらスルタンの調理場は公開されておらず、陶磁器も見ることができなかった。

 

【議事堂】

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ハレムのタイル、宝物殿の数々の宝物、宮殿全体のタイル、宮殿からの景色、などなど見るところは多いが、
宮殿の建物自体はそれほど魅力的ではない。
それはそれでひとつの特徴とも言える気がする。

 

オスマン朝は、強大な帝国ではあったが、広大な領地の統治を維持するために、
異教徒への寛大さ、教育システム、支配層への重用などにも、大きな特徴があった。

いたるところに機関や機会を設けて教育をほどこし、有能であれば出自にかかわらず高い地位に重用し、
トルコ人にこだわることなく支配層を充実させていったのだ。

マドラサと呼ばれるイスラム法学の高等教育機関を活かし、学者を育成したのもそのひとつ。
有能なものには、民族に関係なく、行政、司法、教育を担当する官僚として活躍する機会を与えていた。
それは、奴隷であっても同じであったというのだから驚く。
イエニチェリと呼ばれる直属軍の出身者であっても、有能であれば高い地位につくことができた。

トプカプ宮殿を出る前に、もう一度塩野七生「イタリア遺聞」に登場してもらい、
その、スルタンが持っていた直属軍イエニチェリについて触れておきたい。

トルコ帝国は、その名とは反対に、非トルコ人に支配される国家であった。
五年ごとにトルコ領内のキリスト教国(ギリシャ、ボスニア、アルバニアなど)から、
少年たちを強制的に供出させた。

その中から姿形も美しく頭も良い四十人ほどが、将来の支配者となる教育を、
トプカピ宮殿で受けるのである。
残りの少年たちは、軍団で育てられる。

トルコ軍の精鋭イエニチェリ軍団を形成していたのは、成人したこれらの少年たちであった。
いずれも改宗するとはいえ、もともとはキリスト教徒の生れである。

だが、妻帯も飲酒も賭事も禁じられ、親許から完全に引き離された状態で成人する
これらのもとキリスト教徒の奴隷たちは、忠誠を誓う対象としては、スルタンしかないという教育の結果、
純血トルコ人よりも、専制君主からすれば信頼の置ける臣下になるのだった。

       塩野七生「イタリア遺聞」

非トルコ人奴隷女性を母とする君主が、非トルコ人の最強軍団を率いて大帝国になっていったトルコ帝国。
歴史はほんとうに不思議でおもしろい。

 

お別れに、の猫復活。宮殿で出逢ったお行儀のいい白い猫を。

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(14) イスタンブール アヤソフィア編に続く。 (旅行記の目次はこちら

 

 

 

 

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思わず写真を取り、夜、ホテルのWiFi経由で長女に送る。

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