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2012年10月10日 (水)

トルコ旅行記2012 (10) イスタンブール 海峡クルーズ編

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(10) イスタンブール 海峡クルーズ編


2012年7月13日

イスタンブール、アタチュルク空港に到着。
ニューヨークのJFケネディといい、パリのシャルル・ド・ゴールといい、
外国の空港には人名がついているところが数多くあるのに、
日本ではなぜか聞いたことがない。

予約したイスタンブールのホテルは空港「片道」の送迎がついていたので、
出迎えの方をお願いしていた。
帰るころには交通事情にも慣れるので自力での移動が簡単にできるだろうから、との判断。
飛行機は30分以上遅れたものの、出迎えの方は、よく見る「名前の札」を持って
到着ロビーで待ってくれていた。

ただ、彼が運転手というわけではなく、純粋に客待ちだけを仕事にしているようだ。
客を見つけると、運転手に携帯で連絡する、という分業体制。
何枚もの名札を持っている。

 

彼の携帯で呼ばれた運転手が現れ、ちょっと大きめのタクシーに案内してくれた。
乗り込むと車内の冷蔵庫で冷やしてあった水を「どうぞ」と差し出してくれる。
服装といい、態度といい、なんだか急に都会に来た感じだ。

途中、アンケートに答えてほしい、と回答用紙とペンを手渡される。
トルコ語じゃぁ、と思ってみたら、英語での質問なので聞かれていることはわかる。
服装はどうか、態度はどうか、水やスナックの提供はあったか、などなど。
これが理由だったのか。

それにしても、
「このドライバの運転は好きか」とか
「彼が運転する車にもう一度乗りたいと思うか」とか
真面目に答えようがない。
意地悪する理由は全くないので、できるだけプラス評価にしておいた。

 

そうこうしているうちに、
テオドシウスの城壁の脇やヴァレンス水道橋の下を通りながら、車は旧市街へ。

ものすごい人の数。信号で止まると、ペットボトルの水を売る少年たちが寄ってくる。
水以外にも、新聞やら弓矢のような民芸品?やら、渋滞の車の中を縫うように売り歩いている。
観光地とは言え、田舎の町ばかりを回って来た我々にしてみると、
田舎のねずみが都会にでてきてびっくりする、という絵本にあるような図。

 

観光名所アヤソフィアのすぐ近く、予約していた小さなホテルに到着した。
チェックインしたものの、停電中でエアコンはおろか照明さえつかない状況。
その間、宿のご主人の話を聞く。

ご主人、トルコ人だが25年間も九州大分に住んでいたらしく、日本語ぺらぺら。
息子さんはトルコでプロサッカー選手として活躍しているのだとか。すごい。
ものすごく流暢にかつ上手に日本語を操るのに、
ところどころ全く何を言っているのかわからないフレーズが混じるのが不思議。

到着早々、旧市街の日本人を狙った「悪い奴ら」の話をいろいろ聞かされた。
地方を回っていたせいか、緩みがちだった気持ちが引き締る。
「せっかく来た日本人に嫌な思いをさせたくない」とはっきり言っていたが、
まさにその思いからなのだろう。とにかく注意するに越したことはない。

 

さて、どこから回るか。
トプカプ宮殿のハレムは絶対見たいところのひとつであるが、たいへん混む、とのことなので、
明朝朝一での訪問で攻めることにした。
というわけで、まずは、海のほうへぶらぶらとゆるやかな坂を下りながら歩く。
商店の密集度といい、人の数といい、これまでの地方都市とは全く違う。

 

【スィルケジ駅】

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近代的なきれいな駅だが、ここは元オリエント急行の始発というか終着駅。
ちょっと気をつけて見てみるとオリエント急行をイメージさせる部分がまだまだ残っている。

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そう言えば映画「オリエント急行殺人事件」もイスタンブールから話が始まっていた。
急行列車にポアロが乗り込んだのもこの駅だ。

海に出た。

対岸にはガラタ塔を中心に新市街が広がっている。

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振り返ると旧市街にはいくつかの大きなモスクを始め、
数多くのミナレット(モスクの尖塔)が見える。

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右前方にはポスポラス海峡がひろがり、その先にはアジア側の街が見える。

人と路面電車と車があふれている喧騒の巷なるも、
ヨーロッパとアジア、
一千年ものあいだ大帝国の都だった旧市街と近代的なビルも見える新市街、
それぞれが狭い海を隔てて一度に目に入ってくる。
世界をすべて包含しているような錯覚に陥る。

1453年、千百年にわたったビザンチン帝国を滅亡させたマホメッド二世が口にした
塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」にある、
一度読んだら忘れないドキリとするセリフを思い出す。

「あなたの持つ富は、わたしにはもう必要ではない。
いや、あなたの持っているよりもずっと多い富を、贈ることもできるのです。
私があなたから欲しいと思うものは、ただひとつ。
あの街をください」

     塩野七生 「コンスタンティノープルの陥落」

力のあるものがここを欲しがった理由がここに立つだけでわかる気がする。

新市街を対岸に眺めながら歩いていると、
「ボスポラス海峡クルーズ! まもなく出るよ!」と呼び込みの大きな声。

いくつものコースがあることは知っていたので、
チケットオフィスで比較・確認してからどれに乗るか決めよう、などと
ぼんやり考えていたのだが、船のそばまで来て呼び込みの声を聞き、
「どうしようか」と妻の方を見ると、ほぼ一瞬にして「乗っちゃおう」の合意。
エィヤと飛び乗ってしまった。

現金をその場で払ってそのまま乗船。
チケットもないし、どういうコースなのかもよくわからない。まぁいいか。
呼び込みの声通り、ほとんど待ち時間なくすぐ出港。

ガラタ橋の向こうにガラタ塔が見える対岸の新市街から始まって、
ヨーロッパ側を左手に、アジア側を右手に見ながら、
ボスポラス海峡をぐんぐん上っていく。

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モスクがいくつも見える背中の旧市街の景色はどんどん遠ざかっていく。
360度見どころ満載のすばらしい景色。

進行方向左側に座ったので、まずはヨーロッパ側をゆっくり海から眺める。

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いちばん見たいルメリ・ヒサールまで行くのか、途中どこかに寄るのか、
飛び乗ってしまったのでよくわからない。

 

【ドルマバフチェ・ジャーミィ】

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そのうち誰か回ってきたら聞こう、と思っていたものの乗務員っぽい人は全く来ない。
「もし**というコースだったらここで降りよう」などと、ガイドブックを見ながら
妻とはいくつかのパターンを想定しておおまかな対応を簡単に相談。
以後は、景色に集中した。

 

【ドルマバフチェ宮殿】

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1843年から10年以上の歳月をかけて作られバロック様式とオスマン様式を折衷させた宮殿。
オスマン帝国末期のスルタンの何人かはトプカプ宮殿からここに居を移した。

新市街側の景色もどんどん変わっていく。

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ボスポラス大橋が見えてきた。
アジアとヨーロッパを結ぶまさにかけ橋だ。
桁の部分が薄いというかずいぶんシンプルな構造。
橋の近くはオルタキョイと呼ばれる若者の集まるショッピング街になっているらしい。

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次々と見所となるランドマーク的建物も見えてくるが、やはり地形やそれに伴う街の雰囲気など、
実際に目の前に広がる「今の街」を感じることができるのがいい。

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かなりの急坂で一気に海に落ちている地形部分もあり、斜面の家からの景色はすばらしいことだろう。
高級住宅地、別荘地、リゾート地、と思われる街が海に面して繋がっている。

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繋留されたクルーザの中には近未来的な前衛的デザインのものもある。

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黒海からマルマラ海まではわずか30km程度しかなく、その部分がボスポラス海峡であるわけだが、
そこは真っ直ぐな一直線ではなく、独特なカーブを描いた海岸線となっている。
その曲がり具合が、リゾート地の景色を生んでいる。

 

【ルメリ・ヒサール】
念願のルメリ・ヒサールが見えてきた。

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出発前、塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」を夫婦で読んで、
ふたりともぜひ実物を見たいと思っていたもののひとつ。
向こうには通称第二ボスポラス大橋(ファーティフ・スルタン・メフメット大橋)が見える。

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思ったよりも威圧感がある。
コンスタンティノープル陥落の前年、1452年メフメット2世がわずか4ヶ月で建造した要塞。

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妻もその威容に興奮気味。急坂に沿うように作られた城壁の上を観光客が歩いているのが見える。

 

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第二ボスポラス大橋もボスポラス大橋同様、桁の部分が薄いというかずいぶんシンプルな構造。
この橋は、日本と深いつながりがある。トルコと日本との繋がりについてはあとでまとめて書きたいと思う。

ルメリ・ヒサールの前を通過すると、「はい、ここまで」と言うかのように
船は大きく向きを変え、まさに出発地に戻る航路を取り始めた。

どこにも寄らなかったため下船はできなかったが、
ルメリ・ヒサールには、地上からも行きたいと思っているので、
詳しくはそのとき見てみよう。まずは海から全体を眺められてよかった。

船が180度向きを変えたため、これまでヨーロッパ側を見ていた左側の席から、
そのままアジア側を見られるようになった。
第二ボスポラス大橋、アジア側の橋脚。

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【アナドル・ヒサール】

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ルメリ・ヒサールのアジア側対岸にある。オスマン朝の砦。
1390年ころに建てられた。ボスポラス海峡の最も狭い部分が、
ルメリ・ヒサールとアナドル・ヒサールに挟まれているような配置となっている。

 

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アジア側はヨーロッパ側ほど急坂ではないものの、やはり別荘チックな建物が目につく。

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【ベイレルベイ宮殿】

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スルタンの夏の離宮。1865年完成。

 

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アジア側にもいくつものモスクが見える。

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【乙女の塔】

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占い師の
「愛娘は18歳(16歳とする説もあり)になる前に蛇に噛まれて命を落とすだろう」
という言葉を信じたこの地方の王が、愛娘をこの塔に閉じ込めて育てた。
18歳の誕生日、王は果物をいっぱいにした籠を手に塔にでかけた。
その籠の中に毒蛇が隠れており、娘は予言通りに死んでしまった、という言い伝えがある。

旧市街が見えてきた。

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旧市街の全景がだんだん大きくなってくる。
トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクを含む、
まさに観光パンフレットによく出てくる旧市街の遠景は
ほんとうに幻想的で美しい。

左イェニ・ジャーミィと右シュレイマニエ・ジャーミィ

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スュレイマニエ・ジャーミィ

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近くに寄ってからのイェニ・ジャーミィとシュレイマニエ・ジャーミィ

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約2時間。見所が多くあっと言う間であった。
ガラタ橋のたともに船が着く。

今日はここまで。

 

お別れに、今日は猫でなく、トルコの印象を語った村上春樹さんの言葉を。

僕を引きつけたのは、そこにあった空気の質のようなものではなかったかと思う。・・・
肌ざわりも、匂いも、色も、何もかもが、
僕がそれまでに吸ったどのような空気とも違っていたのだ。・・・
それは不思議な空気だった。
旅行というのは本質的には、空気を吸い込むことなんだと僕はそのとき思った。
おそらく記憶は消えるだろう。絵はがきも色褪せるだろう。
でも空気は残る。少なくとも、ある種の空気は残る。

     村上春樹 「雨天炎天-ギリシャ・トルコ辺境紀行-」

 

(11) イスタンブール 新市街編に続く。 (旅行記の目次はこちら

 

 

 

 

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「どうしようか」と妻の方を見ると、ほぼ一瞬にして「乗っちゃおう」の合意。
エィヤと飛び乗ってしまった。

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