« トルコ旅行記2012 (2) エフェソス遺跡編 | トップページ | トルコ旅行記2012 (4) パムッカレ 石灰棚編 »

2012年9月13日 (木)

トルコ旅行記2012 (3) シリンジ村編

トルコ旅行記 2012/7/8-7/17 (旅行記の目次はこちら


(3) シリンジ村編


2012年7月9日

エフェソス遺跡に続き次の目的地、シリンジ村に向かう。
思ったよりも山奥で、細い山道をぐんぐん上っていく。

小さな村に着いた。

120709145228_img_2356s 120709145318_r0010061s

赤い屋根と白い壁、シリンジ村はオスマン伝統の家並みが残る小さな村だ。

この村の歴史を語るうえで「住民交換」という言葉を避けて通ることはできない。
この村にもともと住んでいたギリシャ人は、住民交換により村を追われギリシャ・テッサロニキに再定住。
代わりにテッサロニキに住んでいたトルコ人がここに住むようになったのだ。
1924年のこと。まだ百年も経っていない。

住民交換とはいったい何か。

トルコはギリシャとの希土戦争で勝利。
その後、「ローザンヌ条約」(1923年)に基づき、
トルコとギリシャとの間で大規模な住民の交換が行われることになった。
「ローザンヌ条約」はトルコ共和国がオスマン帝国に代わる主権国家として
国際的に認知されるようになった条約で、日本も調印7カ国のうちのひとつになっている。

住民交換とは、簡単に言うと「双方の領土内にいる非自国民を交換する」ということだが、
この時の規模はトルコからギリシャに移住したギリシャ正教徒が約100万人、
ギリシャからトルコに移住したイスラム教徒が約50万人。
人数は資料によって多少のバラつきがあるものの、単位としてはほぼこの程度。ものすごい数だ。

なぜこんなことが、どうしてこんなにたくさんの国民が混在することになったのか。

領土の増減を繰り返してきた歴史とそれを統治していく政策にその理由がある。
オスマン帝国は領土を拡大するたびに、自国のムスリム集団を新領地に入植させてきた。
「スルギュン」と呼ばれる強制移住は、新領地を統治していくひとつの方法だ。

しかし、領地は拡大するだけではない。奪われて縮小することもある。
そうなれば逆に、その土地にスルギュンによって強制移住させた自国の民が残ってしまうことになる。
その時、場合によっては両国または周辺国との関係において再度の強制移住が行われることもある。
その繰り返しが複雑な混在を生んでいった。

トルコの南、キプロス島のように、混在が分断を生んで、
国連の引いた緩衝地帯(グリーンライン)を挟んで、
トルコ系住民とギリシャ系住民が別れて暮らしている国もある。
分断されたのは1974年。二千年前の話ではなく、まだまだ今の話だ。

さて、ここシリンジ村。
村は残り、人は入れ替わった。家並みは何を見てきたのだろうか。

 

村に到着後、まずは昼食を、と大衆的な食堂に入った。

120709145804_img_2360s

中学生くらいの男の子が、よく働いている。
店の隅では、おばさんが手際よくギョズレメを焼いている。

120709141437_img_2343s

この村に限らず、トルコではほんとうによく見る光景だ。

さて事実上、外で食べる初めてのトルコ料理。
まずは飲み物。
アイランと呼ばれるトルコ独特のヨーグルトを頼んでみた。

120709141706_img_2346s

薄い塩味。「えっ、塩味?」と思うが、暑かったこともあり、ふたりともたいへん気に入り
このあともあちこちでよく飲んだ。 甘いものよりむしろおいしい。


チョップ・シシ。 シシ・ケバブのシシも同じだが、シシとは串という意味。

120709141749_img_2348s


トマトベースのスープ。酸味が効いているもののわりと味が濃い。

120709141819_img_2350s


おばさんの焼いてくれたギョズレメ。

120709141850_img_2352s

間にチーズや野菜や挽肉などが入ったクレープというか、トルコ版薄型お好み焼きというか。
どれも、これもほんとうに安くて美味しかった。

さて、村の様子。
小さな山あいの村ではあるものの、観光地化してしまっていて、表通りは土産物屋だらけだ。
香辛料も果物も衣料も見た目がカラフルで、じっと座って店番をしているおばあちゃんたちも
人のよさそうな人ばかりであるが、土産物自体にどうも惹きつけられない。

120709145940_img_2363s 120709150117_img_2365s

120709151721_img_2388s 120709151936_img_2390s

ひと通り表通りを歩いたのちは、ちょっと村の中に入ってみることにした。

120709134754_img_2333s

こんな道を登っていくと、人々の生活に触れることができる。

120709150312_img_2366s 120709150425_r0010064s

窓からは、人の話し声も聞こえてくる。

120709151354_img_2384s 120709150623_img_2372s

不衛生な感じはないが、とにかく多くの家がかなり傷んでいる。
そう言えばガイドブックの欄外にはこう書いてあった。
「シリンジェは、ギリシア人が住んでいた頃はチルキンジェ(汚い)という名前だったが、
 後に知事の命令で『かわいい』という意味のシリンジェ村へ改称された」

120709150512_img_2370s 120709150406_img_2368s

それでも、どこもこの状態で人々が普通に住んで生活している。

120709151000_img_2378s 120709151552_r0010068s

どういう状態になったら直すのか、
どういう状態になったらメンテナンスするのか、
何にお金をかけるのか、という基準が日本とは違うということなのだろうか。

「荒城の月」の歌の美しさに魅了されて日本に来てみたけれど、
実際には、城址かコンクリートの城ばかりで、日本に荒城なんてないじゃないか、と
書いていた外国人のエッセイを思い出した。

あいかわらずネコをよく見かける。犬も暑さでぐったり。

120709151203_img_2380s 120709150805_img_2375s

今回、時間の都合でサフランボルを観光ルートから抜いてしまったが、
シリンジは第二のサフランボルと呼ばれるくらいだから、
サフランボルもこんな感じなのだろうか。
傷んだ家が多い中、パラボラアンテナが目立っている。

120709150734_img_2374s

ゆっくり見学したのち車に戻る。
運転手にはエフェソスとシリンジで計6時間くらいは待ってもらったことになる。
「待たせることを気にすることはない」
と最初に言われたが、暑い中よく待ってくれたな、と素直に思う。
車にエアコンはあるにはあるが、我々が乗っている時間以外は全く使っていない。
窓をあけているだけ。
多少チップをはずもうか、と思いながら帰途につく。

 

さて、ホテル到着前に(1)出発編に書いたことをちょっと繰り返しておこう。
タクシーの料金交渉についてだ。

  実は、簡単に折り合いがついたのには理由があったのだが、
  「交渉成立」と思ったこの時点ではそれに気づいていなかった。
  と言うか、「トルコならではの」かなり重要なことを聞き落としていた。
  値段交渉で「ここ」を聞き落とすと言うのは、後から考えるとありえないように思うが、
  その時は思い込みもあり、まったく聞こえていなかった。
  「ここ」とは何か。
  支払う時になって、ひとつ勉強することになる。

 

無事ホテルまで戻ってきた。
チップを添えて払おうとすると、チップに喜んでくれるとおもいきや、額が違うと不満顔。
「えっ?!、どういうこと?」
再度確認すると、数字は同じだが、元々の合意額は単位がTL(トルコリラ)ではなくユーロだと言うのだ。
街では「2トルコリラ=1ユーロ」を一般的な換算率として使っていたので、
トルコリラで考えていたこちらの額に対して簡単に言えば「倍額」を請求してきたわけだ。
それでも総額で数千円程度なので、移動距離と拘束時間を考えると
日本的な感覚では高いわけではないのだが「認識していた額に対して倍」に驚いてしまった。

単にボられているのか、
最初の交渉時からユーロだったのをこちらが聞き逃していたのか?
そもそも車に乗った直後にも料金の確認はしている。
しかし、思い出そうとするものの、数字の部分にしか注意を払っておらず単位の記憶がほとんどない。
「ユーロと言っていたじゃないか」と言われると、
「ユーロ」の音が耳に残っているような気もしてくる。
「絶対に聞き間違えてはいない。あの時はトルコリラだった」と言い切れる自信がない。
結局納得してユーロで払った。

その後、
* トルコでは、特に観光地ではトルコリラ、ユーロ、米ドルの三種が混在したまま使われていること、
* 最初にタクシーを提案してきたホテルのお兄さんに、
   帰ってきたあと再度値段のことを聞くと、「最初からユーロで話をしていた」とあっさり答えたこと、
* ヨーロッパからの船が多いクシャダスでは、ユーロによる料金表示もかなり見かけること、
* クシャダスの街中で見かける観光タクシーの相場もユーロ表示で、
   エフェソス観光などの典型的ルートとの比較から、請求された額はほぼ相場並だったこと、
などを知り、単位「ユーロ」を聞き逃していたらしいことは状況証拠的に確認できた。
それにしても一つの国にいてお金の話をする時に、普通、単位を気にするだろうか?
まぁ、これも勉強だ。

むしろ初日にガツンと勉強させてもらえて、よかったとさえ言える。
旅行中は、その後も何度も値段交渉をすることになるが、
その都度トルコリラ、ユーロ、米ドルをしつこく確認するようになったからだ。
特にクレジットカードの支払い時は要注意。レシートでは、数字だけでなく単位も含めて確認が必要だ。
ホテルの宿泊代はユーロなのに、同じホテルでの食事代の精算はトルコリラ、
というホテルもあり、実際かなりの混在度だった。

 

ホテルでひと休みしたのち、クシャダスの街に出かけた。
ヨーロッパからのエーゲ海クルーズの大きな客船が寄港している港町。
観光客も多く、同じような土産物屋がならび「日本人か?」の呼び込みも多い。
物は溢れており、色も刺激的だけれど、ここでも土産物自体にイマイチ魅力がない。

120709182213_img_2405s 120709182435_img_2409s 120709184106_img_2412s 120709182700_img_2410s

今後、ケバブなど肉系の食事が多くなるだろうから、ということで、
夜は魚を食べることにした。
港町、新鮮な魚があふれている。

120709180528_img_2402s 120709180537_img_2403s

ショウケースで魚を選び、料理してもらうというスタイルのお店を選んだ。
ずらりと並んだ中からシーバスとエビを指定。

120709195935_img_2431s 120709195959_img_2433s

景色のいい海辺のテラスで、風に吹かれてエーゲ海の夕日を眺めながら、選んだ魚が調理されるのを待つ気分は最高だ!

120709180836_r0010073s

おしゃれなテラス席なのに、水はなぜかペットボトルのまま運ばれてきた。パンは期待通りおいしい。
暑さでヘトヘトになった体にビール「エフェス」がしみる。

120709184921_img_2417s

エビの味が焼き具合も含めて絶品だった。

120709190729_img_2424s

120709191956_img_2425s

素材の新鮮さと味の良さが焼き具合で引き立つことがよくわかる。

テーブルから眺めるエーゲ海がどんどん夕日に染まっていく。

120709194348_img_2428s

夕食後、ホテルに戻り翌日の行程の作戦会議。

翌日は、クシャダスを発ち、パムッカレを観光、夜行バスでカッパドキア・ギョレメに向かう。
ギョレメまで6本のバスを乗り継ぐ。概略を絵に書くとこんな感じ。

1

この計画を、少し親しくなったホテルのお兄さんにすると、
デニズリまでは、クシャダスのオトガル経由のほうがいいと言う。

2

言っていることはわかるが、この「クシャダスのオトガル」というのが日本のガイドブックには一切載っておらず、
いったいどこにあるのかが全くわからない。
WiFiが使えることをフル活用してiPod Touchで妻が検索。
トルコ語のページしかなく、「トルコ語 指さし会話帳」を辞書代わりにして、
なんとか情報を得ようとするが、わからないことも多く何度も質問に行く。

多少非効率で遠回りかもしれないが日本のガイドブックに載っている確実なルートを選ぶか、
場所や便数など不明かつ不確実な要素があるものの、ホテルのお兄さんの言葉に従って、
より最短と思われるルートを選ぶか。

結局、丁寧に我々の質問に対応してくれた誠実なお兄さんを信じてみよう、ということになった。
一時的に、自分がどこにいるのか全くわからない、という状況になってしまうが、
移動は昼間だし時間的に多少余裕もあるし、なんとかなるだろう。

夜、礼拝を呼びかける「アザーン」の音が街なかに響き渡る。
「神は偉大なり」という言葉の繰り返しで始まっているらしい。
時間は短いが音量的にはかなり大きく、初めて聞くとびっくりする。
「イスラムの国に来たんだ」を改めて痛感する。

 

2012年7月10日

朝食は焼き立てのギョズレメ。写真の丸いボールはチーズ。ちょっと辛いチリがまぶしてある。

120710073343_img_2457s 120710074318_img_2458s

雰囲気のあるキャラバンサライも一泊のみ。ちょっと別れがたい。

120710065535_img_2447s 120709175731_img_2393s

中庭を取り囲むように客室がある。建物の大きさからは考えられないが、全部で二十数室しかない。

120709175902_img_2396s 120710065436_img_2444s

チェックアウト後、昨夜お兄さんに教えてもらったルートに挑戦。
港には大きな客船が停泊している。

120710081549_img_2463s

ホテルの目の前から、ドルムシュ(ミニバス)に乗車。
ドルムシュを降りてオトガル(バスターミナル)に行く道も、
ドルムシュのほかの乗客が丁寧に教えてくれた。

デニズリへの長距離バスに乗り換えるクシャダスのオトガルに無事到着。
バス会社のオフィスが並んでいる。同じ行き先でも、会社によって少し値段が違う。
時刻表や価格表といったものがほとんど貼りだされておらず、個別に窓口で聞かないとわからないことが多い。
長距離バスが日本のバスターミナルと同じように、行き先を前に表示してずらりと並んでいる。

120710084236_img_2464s 120710084413_img_2466s

通りを渡った一角には、ドルムシュ、ミニバスのターミナルが。
ここのオトガルはかなり整然としていてわかりやすい。

120710084522_img_2468s

長距離バスに乗る前に手洗いに寄り、大きな方を覗くとこんな感じで紙がなかった。

120710090305_img_2474s

水と小さな手オケのみ。
トライしたことはないが、びしょびしょになりそう。ホテルで済ましてきてよかった。
妻の話によると、女性用には「紙がない」ということはなかったようだ。

初めての長距離バス。
バスは、飛行機の席のように、座席ごとのテレビモニタまである。

120710091124_img_2475s

途中、イケメンのお兄さんがスナックを振舞ってくれる。

120710114010_img_2476s 120710114312_img_2480s

アナトリア高原の乾いた土地や、途中通過する小さな街の景色を楽しんでいる間に、
デニズリに到着。約3時間半。

結果的に、ホテルのお兄さんに教えてもらったルートは完璧で、
時間的にも、体力的にも、経済的にも、最もいいパターンで
目的地デニズリに到達することができた。
クシャダスからデニズリへのルートの理想的なパターンとして、
「地球の歩き方」に投稿したいくらい。
信じてよかった。

当たり前といえば当たり前だが、「地球の歩き方」に書いてある情報は
交通網のごくごく一部で、それ以外のルートや最善手はいくらでもあるのだ。

 

次の観光地パムッカレまでは、ここでミニバスに乗り換えてあと20分ほどだ。

デニズリに到着し、バスを降りると旅行会社の客引きが声をかけてきた。
こちらはそれなりに予定を立てていたし、客引きの良くない話もあちこちで読んでいたので、
最初のうちは警戒心いっぱいで適当にやり過ごすつもりだった。
ところが話を聞いているうち、信じてのってもいいか、という気になってきた。
まぁ、なにかあったらその時だ。

我々夫婦は、その客引きのお兄さんに付いて行ってしまう。

今日はここまで。お別れにクシャダスの猫を一匹。

120709184200_img_2414s

 

(4)パムッカレ 石灰棚編に続く。 (旅行記の目次はこちら

 

 

 

« トルコ旅行記2012 (2) エフェソス遺跡編 | トップページ | トルコ旅行記2012 (4) パムッカレ 石灰棚編 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

チップを添えて払おうとすると、チップに喜んでくれるとおもいきや、額が違うと不満顔。
「えっ?!、どういうこと?」
再度確認すると、数字は同じだが、元々の合意額は単位がTL(トルコリラ)ではなくユーロだと言うのだ。

↑笑い

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1756499/47059362

この記事へのトラックバック一覧です: トルコ旅行記2012 (3) シリンジ村編:

« トルコ旅行記2012 (2) エフェソス遺跡編 | トップページ | トルコ旅行記2012 (4) パムッカレ 石灰棚編 »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ