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2012年9月23日 (日)

トルコ旅行記2012 (5) パムッカレ ヒエラポリス編

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(5) パムッカレ ヒエラポリス編


2012年7月10日

石灰棚を登った先には、遺跡・ヒエラポリスが広がっていた。

反射してしまいちょっと見にくいが、ヒエラポリス博物館にはこんな図があった。
石灰棚の上に、最盛期にはこんな街があったようだ。
右下から広がる白い部分が石灰棚だ。

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ヒエラポリスは、ローマ帝国の温泉保養地として栄えた都市だが、
その起源は紀元前2世紀のベルガモン王朝にまで遡る。
1世紀のネロ帝、3世紀のカラカラ帝といったローマ皇帝も訪れている。
2、3世紀に全盛期を迎える。
これまた、日本ではまだ大和朝廷前。
ローマ帝国時代にも何度も地震にあっているが、その都度復興を繰り返している。
ところが、1354年の大地震を最後に廃墟に。
日本では室町時代になったころ、足利義満のころに滅びてしまったことになる。

 

【ヒエラポリス博物館】

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ローマ時代の浴場をそのまま博物館として使っている。石組みが精緻かつ重厚で美しい。

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中の展示は主に石棺とレリーフ。

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特に石棺は、目を見張るものだった。
後に見る、ネクロポリス(共同墓地)、
まさに死への入り口として多くの人が棺を持ってきた場所だけのことはある。

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レリーフも様々な種類のものを間近でみることができる。

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建物の外にも棺や柱頭などが数多く続いており、最初のうち、声を上げて感嘆していた驚きの感覚が、だんだん麻痺してくる。

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【温泉プール】
ここはよくある温泉プールではない。
プールの中に本物のギリシャ・ローマ時代の柱や柱頭がゴロゴロしているのだ。
まさに遺跡の上で泳げる例のないプール。
ここにあの石灰棚を作り上げた温泉の源泉がある。

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発泡性のあるお湯らしいが、上から見る分には澄んでいてきれいなお湯だ。

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【ニンファエム神殿(泉水殿)】 4世紀

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【野外劇場】
2世紀。収容人数約1万人。エフェソスの大劇場ほどの規模はないが、ここも保存状態がほんとにいい。
急斜面の客席からは、ステージだけでなく、まわりの雄大な景色も満喫することができる。

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【北大浴場】

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2世紀。大きな連続アーチを持つ典型的なローマ建築。浴場ではあるが、教会として使われていた時期もあった。
その先に、棺が散乱しているエリアがある。

 

【ネクロポリス】

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ギリシャ語のnekropolis(死者の都)を語源とする古代共同墓地だ。

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先ほど見た野外劇場の少し下のほうに、
温泉のガスが吹き出しているプリトニオン(プルトニウム)と呼ばれる洞窟がある。
この、人ひとり入れる程度の小さな洞窟には
 * 悪霊が宿っているとか、
 * (ガスを吸引して)神託を告げられたとか、
 * 動物を伴って入洞し動物だけが死亡、聖職者だけが無事に生還することで「神聖」をアピールしたとか、
 * 病の悪霊を解き放つ神秘信仰の儀式に使ったとか、
「死」に関するさまざまなエピソードが残っている。

冥界(プルトン)に通じていると言われたこの一帯には、死の入り口、死の場所として多くの人が集まって来た。
残っている墓の数は1000基以上。ヘレニズムからビザンチン期まで、
切妻屋根型、アーチ型、2階建て、などなど様々な種類の墓を見ることができる。
長い年月の末、こんなふうに石灰に埋もれてしまった家型墳墓もある。

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当時の人がどの程度「ガス」のことを知っていたかはわからないが、
不思議な洞窟に対する怖れと神聖化とは、ことあるごとに増幅していったのであろう。
「見えないけれどなにかある」
これは根源的な恐怖感のひとつだ。

暑さでもう限界。陽が傾きかける中、また裸足になって石灰棚を降りる。

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ところで、二千年近くも前、石灰棚のほうはどんな状態だったのだろう。
街は14世紀以降風化の一途だろうが、石灰棚のほうは年々成長しているわけだから。

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ちょっと調べた範囲では、石灰棚の成長率がどの程度かがわからなかったが、
少なくともネロ帝が見ていた石灰棚は今とはずいぶん違っていたはずだ。

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パムッカレの村まで戻って、夕食を食べることにした。
とにかく暑くて、よく動いたわりにあまり食欲がない。

街を歩いていると、そのままの名前「パムッカレ」というレストランのオーナから声をかけられる。
東京・新宿でレストランをやっている。10月3日以降は日本にいるので来てくれ、と名刺を渡される。
出発前に偶然、会社の同僚が訪問した話を聞いたレストラン。
名刺を持って、10月3日以降、訪問してみる予定。

結局、軽くしか食べられないけれどそれでもいいか、と念を押して、
マリオブラザーズのマリオのようなひげをたくわえた陽気なトルコ人がやっているレストランに入る。

きゅうりにヨーグルトをかけただけのジャジュクと言われるサラダ。

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さっぱりしていてまさに夏向き。

さて、予定時刻よりもかなり早めに旅行会社のオフィスに戻る。
昼、話をしたお兄さんはもうオフィスにはいなかった。
預けていた荷物を受け取り、デニズリに行かなければならない話をすると、
若い兄さんが、「こっちに来い!」と連れ出してくれる。
昼間、「デニズリのオトガルにまで連れて行って、深夜バスに乗せるから」と
言っていたので、彼が引き継いで送ってくれるのかな、と思ったら大間違い。
彼は、デニズリ行きのミニバスの乗り場を教えてくれただけだった。
まぁ、しかたがない。ちょっと期待し過ぎかも、と思っていたので。

バス停の斜め前にはレストランがあり、こんな看板を出していた。
「吉野家の牛丼より美味い!」
うーん、基準をそこに持ってこられるとどんな味であれ笑って許せる気がする。

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しばらく待っているとミニバスが来た。ところが満席で乗れない。
もともと10数人程度しか乗れないバンみたいなものだから、
満席でもしかたがない感じ。

次を待つ。
ところが、これがなかなか来ない。乗り場を教えてくれた彼も一緒に待ってくれている。
デニズリ発21:00に間に合わなかったらどうするか、とちょっと考え始めたころ、
「来た!」
しかも運良く乗れた、「ふぅ」。

彼は乗り込まず、元気に手を振っている。滑り込みセーフ。
次のバス停でも多くの人が待っていたが、そこからは一人も乗り込めなかった。
少なくとも2本は乗れなかったはずだ。あそこで待っていたらいつ乗れたことだろう。

おそくなったお陰で(?)「ほとんど待ち時間がない」といういいタイミングで
デニズリのオトガルに到着。
ターミナルに行くと、バス会社の係の人が寄ってきて「オフィスに来い」と
4人の客だけをオフィスのほうに誘導した。
なに? なに?
予約表を渡すと、チケットを持って彼が出てきた。なんだ、発券しただけか。

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ところが、受け取ったチケットをよく見ると、出発が22:30になっている。
我々夫婦と一緒に呼ばれた男女のバックパッカーも、22:30に変更になったらしく、
説明を求めている。
「元の予約は21:00だったので、おかしいじゃないか」
「トラブルがあり、21:00の便はなくなった。なので変更した」
でも、だったら呼ばれたのはなぜ我々4人だけなのだろう?

時間ギリギリだったとは言え、トラブルのあったバスに乗ろうとした人は、
もっといたはずだ。もうみんな変更済だったのだろうか?
正体不明の旅行社で予約したので差別されたのだろうか? などと、どうもすっきりしない。
不満顔の我々の空気を察してか、係の人は「ちょっと待ってて」と一言残して、
どこかに消えてしまった。
もちろん二度と戻って来なかったが。

 

係の人が急にいなくなってしまったため
「まっ、しかたないか。待つか」と妻にぽろっと日本語で言うと、
バックパッカーの女性の方が「あれっ、日本の方なんですか?」と驚いたような声。
係の人を中心に、カタコト英語のやり取りになっていたが、チケットの条件ばかりに集中していて、
こちらもバックパッカーの二人が日本人かどうかにはそれまで気が回っていなかった。
聞くと、女性の方は日本人、男性の方は台湾人。
二人は偶然バックパックを背負っているというだけで、一緒に旅行しているわけではなかった。

いろいろあったが、結局のところ昨夜立てた予定通り
デニズリに戻ってきて22:30の夜行バスでカッパドキアに行くことになってしまった。
パムッカレで21:00発に間に合うかどうかヒヤヒヤしたのはいったいナンだったのか。
まぁ、しかたがない。待てばいいだけだし。

 

急にできた1時間半の待ち時間は、先ほど知り合ったバックパッカーの日本人女性Yさんと
我々夫婦の三人で話をしながら過ごした。

Yさん、8ヶ月かけて世界一周旅行をしている途中で、今5ヶ月目とか。
旅行会社に2年勤めた後、「今しかない」と会社をやめて、一人で世界を回り始めたらしい。
メキシコから入り、南米、ヨーロッパと回ってトルコまで来ている。
途中イースター島にも寄っている。
旅行会社時代、チェコに毎年行くお客様がいたらしく、その方の影響でチェコにも。
宿は主にホステルを利用。
姉、弟のいる三人兄弟の真ん中で、お姉さんがベトナムに海外ボランティアに言ったことが、
海外に飛び出すきっかけになったのだとか。

話を聞いていると、我々夫婦の長女Hを思い出すというか、
Hの口から聞いたようなセリフがいくつも飛び出してきて、
おもわず妻と顔を見合わせて微笑んでしまう。

Hもベトナムやケニアにボランティアに行く際、まさに同じようなことを言っていた。
Hといくつも違わないと思われたので聞くと2つ上。まだ25歳だ。

 

話を聞いていると、あるときは、世界に飛び出していろいろ見てみたい、
今しかできないことをしたい、という子の気持ちの側に立っている。
またあるときは、そういう娘を持つ親の気持ちの側に立って、
「ときどきでもいいから、元気でいることだけは伝えてあげて」なんて言っている。
自分はいったいどっちの側で聞いているンだ!?

同じ事を二倍感じられるというか、ふたつの視点から眺められるというか、
子と親の間をフラフラしている不安定な自分の気持ち自体を楽しんでしまう。
歳をとるということは、こどもを育てるということは、
結局はそういうことなのかもしれない。

そうそう、三人で話をしている最中、ターミナルに居たトルコ人が、
「トラブルで21:00のバスがなくなってしまった」と同じ被害にあったことを口にして話しかけてきた。
21:00のバスがなくなってしまった、というのはほんとうなのだろう。
彼は、プラムのような青い実を差し出して食べてみて、と言う。
エリキ(erik)と言っていた。
そのままかじればいい、とのことだったのでちょっとかじってみる。
もっと酸っぱいものかと思ったら、青い色にもかかわらず甘くおいしかった。ごちそうさま。
彼、「立ち話ではなく、あっちに行って話をしよう」と誘ってくる。
気がつくと、やんわりとその誘いを断っていた。
盛り上がっていたYさんとの会話のほうを続けたいと思ったのは、
子の気持ちでも親の気持ちでもない、さらにいたもうひとりの自分だ。

 

夜行バスの時間が近づく。
「乗る前にもう一度お手洗いに行っておく」という妻に
「荷物見ておくから」と言うと
「あっ、私も一緒にいいですか」と彼女。
大きなバックパックを妻のバッグの横に寄せて置く。
「もちろん、どうぞ。一緒にちゃんと見ておくから」

「ありがとうございます。
 ひとりだといつでも全部持って、になっちゃうのでトイレも行きにくくって」と明るい。
「荷物になるので、これでも冬の間に使った防寒具は途中で捨てたりして
 コンパクトにしようとはしているンですけどね」
それでも女性が背負うにはやはり大きい。

こいつもこれまでの5ヶ月間、彼女と共に世界を回ってきたんだな。
使い込まれたバックパックを見ていたら、二人が去って急に静かになった分、
「なに、だまってるンだよ」とバックパックに向かって話しかけたいような気持ちになった。

 

ほぼ定刻にバス到着。
座席下の荷物庫に荷物を預けて乗車。疲れていたこともあり、あっという間に爆睡。
バスは2、3時間ごとにトイレ休憩をとるために、日本の高速のサービスエリアのような場所で小休憩。
学生のころのスキーバスを思い出す。

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深夜の駐車場は大型バスだらけ。降りるとき自分のバスをちゃんと覚えて降りないと戻れなくなってしまう。
このバスにも個人用のモニタはあるが、さすがに深夜便、見ている人はごくわずかしかいない。

朝5時過ぎ、朝焼けが美しい。

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何もない土地の中を高速で進んでいると、急に畑が広がっていたりするところがある。
誰が耕しているのだろう、と見回してもはるか先まで家らしい家がみつからない。
でも、なんだか畑を見るとホッとする。
そう言えば、沢木耕太郎はこんなことを書いていた。

山に緑が多くなり、ほんのわずかな土地にも人の手が入っているのを見かけるようになった。
雲と同じように、耕されている土地というのもまた、
見る者の心をずいぶん和ませてくれるものだった。

    沢木耕太郎 「深夜特急5 -トルコ・ギリシャ・地中海-」

朝7時半頃、ネブシェヒルに到着。

目的地、カッパドキア・ギョレメまではバスを乗り換えてあと30分ほどだ。

今日はここまで。

 

お別れに、ヒエラポリスでお休み中だった猫の親子を。

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(6) カッパドキア ギョレメ編につづく。 (旅行記の目次はこちら

 

 

 

 

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だったら呼ばれたのはなぜ我々4人だけなのだろう?
時間ギリギリだったとは言え、トラブルのあったバスに乗ろうとした人は、もっといたはずだ。もうみんな変更済だったのだろうか?正体不明の旅行社で予約したので差別されたのだろうか?

↑ 笑い

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