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2012年9月12日 (水)

トルコ旅行記2012 (2) エフェソス遺跡編

トルコ旅行記 2012/7/8-7/17 (旅行記の目次はこちら


(2) エフェソス遺跡編


2012年7月9日

さて、値段交渉が思ったよりあっさりとうまくいったので、
「エフェソス遺跡」と「シリンジ村」の観光にはタクシーを使うことにした。

エフェソス(Ephesos)というのは古代ギリシャ語読みで、
現在はトルコ語でエフェスと呼ばれているらしいが、
この記ではエフェソスの方を使うことにする。
トルコの代表的ビール「エフェス」もこの名前からとったものだ。

エフェソス遺跡を見学するには、南口から入り、
メインの道をゆるやかに下りながら北口に向けて縦断する、というルートが
最も効率がいいのだが、ミニバスを使うと北口へのアクセスしかないため、
「北口から入って遺跡内を往復し、北口から出る」という方法しかなくなってしまう。
今回はタクシーを使うことにしたため、
南口で降ろしてもらい北口に回って待っていてもらう、という、
まさにツアー客のような効率的な動きが可能となった。

もちろん最初は、遺跡内を一往復してゆっくり観ようと思っていた。
ところが実際に歩いてみると、片道ですんだのはかなり助かった、というのが正直な感想。
距離自体は苦になるような距離ではないし、
往復して二度見たくらいで見きれるようなボリュームの遺跡ではぜんぜんないのだが、
確実に35度以上はあると思われる気温と日陰のない強烈な日差しの中を、
3時間以上も夢中で歩き続けたことで、暑さでかなり消耗してしまったのだ。

遺跡内は、まさに遺跡だけで観光客用のベンチや日除け等は一切ない。
もちろんそんなものを作るべきではないけれど、真夏の観光は暑さへの覚悟が必要だ。

クシャダスから車で約30分。エフェス遺跡の南口で降ろしてもらった。

さて、遺跡の話を始める前に、だいたいの年代だけは確認しておきたい。
エフェソスは、15世紀半ばに廃墟となってしまったが、
廃墟となる前の繁栄の歴史は二千年以上にもなる。
今回見るものは、そのうち2世紀前後に深く関連したものが多い。

そのころの日本は?
小中学校の教室の後ろに貼ってあった日本史年表を思い出してみよう。
金印などの文字がポツンポツンとあるくらいで、まだ空白が多く、
そこには稲作やら古墳やらの絵が書いてあるようなころだ。
大和朝廷成立以前、漢字も伝わってきていない。

そんな大昔、この地には、アレキサンダー大王、クレオパトラとアントニウス、
聖母マリア、聖パウロなども訪れていたと言われると、歴史オンチでも想像が楽しくなる。
1世紀、聖パウロはこの地でキリスト教の伝道に従事していた。
新約聖書の【エペソ人への手紙】のエペソとはまさにここエフェソスだ。

エフェソス遺跡は、世界最大級の大規模な古代都市遺跡と言われているだけあって、
行ってみるとその壮大さに驚く。見どころ満載。
ゆっくり見て回るといくら時間があっても足りない。
世界の古代七不思議のひとつ、あのアテネ・パルテノン神殿の三倍もあったという
総大理石の壮麗なアルテミス神殿の跡も近くにある。

南口から入ると、石組みの遺跡が遥か先まで広がっていることが見える。
日差しと遺跡がまぶしい。
ツアー客も各国から来ており、ガイドに従っていくつもの小集団が動いている。
風にのって聞こえてくる言語も多彩。
我々はガイドブック片手にマイペースで観て回る。

ひとつだけでも十分観光客を呼べるような遺跡が、
大理石でつくられた古代の通りに沿ってずらりと並んでいる。
劇場や神殿や浴場などに囲まれた遺跡空間のど真ん中で
最も栄えていたころはいったいどんな街だったのだろう、と往時に思いを馳せる楽しさは、
まさに訪問した者のみが味わえる贅沢なものだ。

この「規模感」こそが、この遺跡で一番伝えたいことなのだが、
それは、パノラマ写真にすれば伝わる、というような簡単なものではないので、
本記では個別の紹介に留まらせていただく。

以下のようなものが次々と目の前に現れる驚きを、少しでも感じていただければうれしい。

南口から入って最初に目につくのは、

【ヴァリウスの浴場】

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2世紀。床下暖房方式を採用していた典型的なローマ風呂。

 

遺跡の上の小さな日陰、猫が暑さでバテテいる。

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この先トルコ国内ではほんとうに多くの猫を見ることになるが、
これが記念すべき最初に出逢った猫。

 

その先に【バシリカ】が広がる。

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1世紀ごろのもの。金融取引や裁判に使われていたという列柱建築の柱が残っている。
奥には【音楽堂オデイオン】が見える。


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【バシリカ】の柱を見上げると、
コリント式とイオニア式という建築の本でよくみる柱頭の実物を見ることもできる。

 

【音楽堂オデイオン】

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収容人数1400人。代表者会議やコンサートが開かれた。もとは屋根がついていたらしい。

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座席階段の縁にはライオンの足が刻まれている。

 

 

【市庁舎】

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この写真では列柱の高さが実際のイメージとかなり違うので、
このおふたりにもう少し柱のそばに寄ってもらおう。

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かつてはここに消えることのない聖火が灯されていた。
聖火を守る仕事は、選ばれた市民のみに許された要職だった。

 

【ドミティアヌス神殿】

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1世紀のドミティアヌス帝に捧げられた神殿。
帝が暗殺されたあと、神殿は取り壊され現在は土台部分だけが残っている。

 

【ポリオの泉】

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1世紀。建物は商店として使われていて、広場は重要な商業センターだった。

 

【勝利の女神ニケのレリーフ】

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女神ニケはNIKE。
米国のスポーツ用品メーカ「ナイキ」のロゴは、この彫像をモチーフにしている。
もとはこの先にあるヘラクレス門のアーチとして飾られていたものらしい。

 

【メミウスの記念墓】

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メミウスはローマの独裁官スッラの孫。碑にはスッラを称賛する言葉が記されている。

 

<台座・石組み>

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さまざまな組みの跡が各所に散乱している。

 

【ヘラクレスの門】

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4世紀に他所から運ばれて建てられた。
ヘラクレスがライオンの皮を持った姿が彫られている。
35度以上の気温の中、コートまで着ているムスリムの女性たちの服装にも注目してほしい。
ここで皆がカメラを構えているのは、その先にこの景色が広がっているから。

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大理石で舗装されたクレテス通りの先には、ケルスス図書館が見える。

 

【クレテス通り】

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ヘラクレスの門とケルスス図書館とを結ぶ緩やかな坂道。

 

 

【トラヤヌスの泉】

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2世紀。皇帝トラヤヌスに捧げられた泉。
当時は正面にため池があり、そこに据えられた皇帝像の足もとからは水が流れていた。

 

【ハドリアヌス神殿】

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2世紀。彫刻が美しい。コリント式の石柱がレリーフを施した半円形のアーチを支えている。
奥の門には、両手を広げたメドゥーサが彫られている。

 

【スコラスティカの浴場】

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4世紀。大地震で破壊された大衆浴場をスコラスティカという女性が大改修し再建した。

 

 

【公衆トイレ】

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1世紀。大理石の便座、下を水が流れている水洗式! 
トイレ前の中央の台座では音楽演奏もあったというがほんとうだろうか。

 

【高級住宅群】

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手前の通路は美しいモザイクで飾られている。

 

【丘の上の住宅】
住宅跡全体が大きな屋根で覆われ保護されている。
ここの見学は別料金だが、払ってでも見る価値は十分ある。

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丘の斜面を活かした集合住宅。残っているフレスコ画とモザイクがすばらしい。

 

<丘の上の住宅の床のモザイク>

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絵ではなくモザイク。クリックしてご確認あれ。

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どのモザイクも壁ではなく床に施されている。
上流階級の人々の住まいとはいえ、劇場や浴場といった公共施設とは違って
「私的生活」の要素が入ってくることが新鮮。
それにしてもいったいどんな生活をしていたのだろう。

 

 

【ケルスス図書館】

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2世紀。エフェソスを代表する遺跡。ケルススの息子が父の墓の上に築いた図書館。
近くで見るとその壮麗さに圧倒される。
一階部分には、英知、徳性、思慮、学術を意味する4つの女性像が立っているが、
オリジナルはウィーンの博物館にあり、ここにあるのはコピー。
だからと言ってウィーンに行って像だけを見ても、
それらが存在していたここの空気感を想像することはできないだろう。

ケルスス図書館の通りを挟んだ向かい側には【娼館】跡がある。
娼館前の大理石には、
世界最古の広告とも言われる「娼婦の館を示す絵」が彫られているとのことで、
どんなものか楽しみにしていたのだが、
その日は運悪く広告のあるマーブル通りの方向には立ち入ることができず、
実物を見ることができなかった。土産物屋で買った絵葉書の写真を載せておく。

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娼館の方向を示す左足、その右に冠を頭にのせた女性、その下にお札、
またこの絵葉書の範囲には写っていないが、足の左上にはハートも描かれているらしい。

広告というより落書き、という気もするが、4つの絵には
「この足より小さい足の人は娼館を利用できません」とか
「女王様のような人が待っています」とか
「お金を持っておいで」とか
「心を込めてサービスします」とか
いろいろな説があるようだ。
まぁ、いずれにせよなにが正しいか、と言うよりも
あれこれ考えて楽しもう、というレベルのアイテムだろう。

 

そうそう、もうひとつ。
娼館と通りを渡った反対側の図書館とは地下ルートで繋がっていたらしい。
男たちは何をしに図書館に通っていたのだか。
イギリスでも、かつて国会議事堂近くに娼館があり、
採決のための議員定数を満たすために娼館に議員を探しに行ったとか、
採決のために議事堂に戻る時間を知らせるベルがあったとか、そんな話をきいたことがある。

一見オカタイ建物と娼館はスキャンダルも含めていろいろ物語になりやすいということか。
娼館は通りの角に位置し、図書館の正面であると同時に、
先ほどの高級住宅群【丘の上の住宅】の正面でもある。

 

【ミトリダテスの門】

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図書館横。
マゼウスとミトリダテスは、アウグストゥス帝の解放奴隷で、帝への感謝の徴としてこれを建てた。

 

【野外劇場】

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1~2世紀。収容人数2万4000人。大観客席は直径154m、高さ38m。
丘の斜面を上手に使っていることがよくわかる。大きすぎて写真に収めようがない。

 

【アルカディアン通り】

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野外劇場からまっすぐに伸びている。かつてはその先に海があった。
通り沿いには商店がならび、列柱には街灯が灯されていたという。
街灯の灯った通りをクレオパトラとアントニウスが歩いている、
そう思えるだけでここに来た甲斐があるというものだ。

アルカディアン通りから、脇道にそれて北口を目指す。
土産物屋の多い北口で運転手は待ってくれていた。

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今日はここまで。


お別れに北口付近の猫を一匹。

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(3) シリンジ村編につづく。  (旅行記の目次はこちら

 

 

 

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小中学校の教室の後ろに貼ってあった日本史年表を思い出してみよう。

↑笑い

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